2016年7月22日金曜日

兵隊募集の本望

兵備を設けるにはまず歩兵隊を編制するのが第一である。而してその兵員は領分から農民を集めるのが一番良い趣向である。しかしこれを集めるに至っては、深く注意をしなければならない。地方役人などがただ役向き一つ通りで募集したくらいでは、なかなか立派な兵隊を選ぶことができない。
 それには京都からの適任の人にこの募集方を命じられて領土内へ派遣する。一般の領民を各所に招集して能く今日の時勢を説き含める。募集の趣旨を会得させて、この応募は全く領民の義務であると、自ら進んで出るようにせねばならない。その御用を不肖ながら何卒私へ仰せつかるように願いたい。いかにも粉骨砕身して必ず相応の人を連れて来て兵備のお設けが速やかに立ち、各藩を凌駕するような立派な兵隊のできまするように致しますと不遠慮に言上した。
 もっとも自分の考えでは自分も田舎の農民から駆け出すほどの事だから、少し誘導したならば続々望む人があろうと見込みをつけてていた。さらに言葉をていねいに反復説愉した。一体、各々の量見では今日の時勢を何と心得ているか。世の中はいつまでも波風たたぬ太平無事ではないぞ、今にも戦がどこから始まる。己れは昔から百姓であると安心してはいられぬ。それゆえ血気壮な手前どもは今のうちに奉公を願ってご領主のためには働いたら、器量次第では立身功名のできる世の中である。土臭い百姓で生涯を終わらんよりは、一番奮発してでるがよい。深切に話したり、また厳格に諭したり、手を代え品を代えて感動するように色々と工夫凝らした。
 おれはこれまで一橋の家来のようん普通一般の食録を貪って無事に休んでいる役人とは大きな間違いである。事と品によっては荘屋の十人や十五人を斬り殺す事は何とも思わぬから、各方においても余りぐずぐずするとそのままには決して差置かれぬ。今の時勢を何と思うているのか。代官であろうが荘屋であろうが毛頭容赦はしない。成敗とともにこの一身を以って当る所存でいる。
 その後追々募集の人数が各地から集まって来着するから、それを訓練するために、軍制局において種々の評議をする。その大隊長は洋式の兵制を一通り心得ているが、指揮役などに乏しきゆえ、かれこれと人繰りをして、いささかの兵制の組み立てができた。

渋沢 栄一自伝「雨夜譚(あまよがたり)」

2016年7月21日木曜日

誤った日清戦争

    誤ったのは、十年の西南戦争と、今度の朝鮮征伐さ。しかし10年の時は、まだ善かった。あれで、かなったと言いものもまだ無かったが、今度は、皆がそう言って来るようだ。どちらも勝ったものだから、実にいけない。もとよりドンと言って明らかな事もなし、づるづるだが、どうせ、これでいいと思う高慢が皆いけないのだ。 政府も人民も悪いんだ。人民がそう政府ばかり頼んで責めると言うが、間違いなのだ。わしはもと西洋人が言った七年一変の説を信じているんだ。1877(明治10)年の西南戦争さ。伊藤さんの朝鮮征伐でも、それはただ伊藤の時の結果に過ぎないのだ。
 こないだも、張などがやって来て、「今度は陸軍省の方で、大層と丁重にしてくれた。」と言って喜ぶ。私はひどく癇癪に障ったから、『なに、馬鹿だな』と言って、怒ってやった。戦争をして勝つと、チヤンチヤンだとか何かとか言って、居たたじゃないか。先生方だってその仲間だろう。世界に輝かすとか、何とか言っただろう。それで、今では支那支那という。そんな事で何があてになるものか。
  朝鮮を独立させると言って、天子から立派なお言葉が出たじゃないか。それで、今じゃ、どうしたんだ。日清戦争の勅文が出て、途中でこれを聞いて、びっくりした。決死の徒が6人来た。もし戦わなければ大臣を刺殺すと迫った。その連中は、今では大変閉口しているよ。伍長以下の連中が段々と上のものを脅迫したのさ。
 維新の大業だって、先ず50年さ。どうして、そのように早くできるものか。憲法などというのは、上の奴の圧制を抑えるのために下から言い出したものさ。それを役人等が自分の都合に真似をした杖事さ。 君らだって親仁の野蛮な血が半分残っている。それからまた半分残る。野蛮と文明の間の子だよ。日本人の嫉妬が強いのは、どうしても国が小さいからさ。それに、どの藩でも、家柄が決まっていて、功を立て立て大に出世するという事は無かった習慣だからね。何でも、誰かが仕たのか分からないようにして、人が言えばどぼけてしまうのさ。
  主義だの、道だの言って、ただそればかりだと、極めることしは極嫌いです。道と言っても大道あり、小道もあり、上に上がありばかり、その一つを取って、他を排除するのはということは不断から決してなしません。人が来て、いろいろとやかましく言うばかりと『そう言うこともあろうかな』と言って置いて、争わない。そして後々でよくよく考えて、色々に比較して見ると、上に上がると思って、まことに愉快です。研究というものは、死んで初めて止むものでそれまでは苦学です。一日でも止めると言うことはありません。

勝海舟「海舟座談」


2016年7月20日水曜日

将来の叫び「アンネの日記」

「わたしのパパ、わたしの目から見ても世界一すばらしいパパは、36のときにママと結婚しました。ママはその時25才でした。お姉さんのマルゴーは、1926年に(オットー・フラ
そのあとわたしが、1929年6月12日に生まれました。」(オットー・フランク)

「ある朝ふとみると、アンネは雨が降りそぼつバルコニーに出て、水たまりの中で嬉々として声を上げていました。私が叱っても一歩たり動かず、ただお話を聞かせてもらうのをまっていました。」(カティ・シュテイゲンバウワー)

「私の周りの世界が崩れてしまった。この現実に直面しなければならない。私にとってとてもつらいことだったが、ドイツは我々の住むべき世界でないと判断し、永遠に去ることにした。」(オットー・フランク)

「わたしたち一家ユダヤ人なので、1933年にドイツを出て、このオランダに移住し、パパはジャムを製造しているオランダ・オペクタの社長になりました。」(アンネ・フランク)

「私たちが一緒にいるところを見られたら二人とも逮捕されるだろう。」(オットー・フランク)

「ドイツに残ったわたしたち一族のほかの人たちは、ヒトラーのユダヤ人弾圧のあおりを直接に受けて不安な生活を送っていました。あちこちでユダヤ人の虐殺が始まると、ふたり(オットー・フランク)のおじさんはアメリカに逃げ、お祖母ちゃんもわたしたちのところに来ました。その時73歳でした。」(アンネ・フランク)

「1945年9月からは、いよいよ急な坂をころげ、おちるように、事態は悪いほうへ向かいました。まず戦争、それから降伏、続いてはドイツ軍の進駐。わたしたちユダヤ人にとって、いよいよほんとうに苦難の時代が始まったのは、この頃からでする。(アンネ・フランク)

「この隠れ屋は、身を隠すには、理想的なところです。床がわずかに傾いていますし、湿気ねひどいですけど、こんな快適な隠れ場所は、アムステルダムじゅう探したって、いえ、オランダしじゅう探したって、ほかにはないでしょう。」(アンネ・フランク)
「いずれにせよ、戦争が終わったなら、とりあえず「隠れ家」という題の本を書きたいと思っています。うまくかけるかどうかわかりませんが、この日記がそのために大きな助けになるでしょう。」(アンネ・フランク)

「私にとってこの劇は人生の一部であり、自分だけでなく妻や子どもたちまでもが舞台で演じられると思っただけで心が傷みます。ですから、とても観にいくことはできません。」(オットー・フランク)

「アンネの書いたものによって、あなたが今後の人生を通じて、できる範囲でいいですから、平和と和合のために努力してくださればと祈ります。」(オットー・フランク)

アンネ・フランク・ハウス

2016年7月19日火曜日

宗教紛争とスラム

  1960年代後半に始まった各国・各宗教の内部的な変動は、1970年代の半ばの石油危機に伴う「近代」的システムの世界的な機能不全と共に、一気に表面化し過激化するのである。こうした経過の典型的なパターンは、第2次世界大戦後に新たに独立を果たしたイスラエル圏産油国の「近代化」過程において見られる。このパターンは、西欧から「近代化」を借りてきた外部からそれを推進しなければならなかった大半の国においては、程度の差はあれ一般的に見られる現象でもある。
 欧米を模範にして工業化と市場化を強引に推し進めてきた国は、周辺農村から労働力を吸収して都市化を加速させる。60年代の終わり頃から整備の遅れた都市周辺部および都市内部の隠れた隙間に、移住した労働者の「スラム」が形成され始める。この有形無形の「スラム」の住民は、基本的に保守的な宗教的道徳観を多分に保有し、特にイスラム圏では未だ封建的な経済システムに馴染んでいる階層であった。
 最初、工業化と市場化が順調に進展していると思われた間は、彼らの有する反近代的要素も、そして様々な宗教的対立・反目も弱いものか或いは陰に隠れていた。しかし下地の全くない俄作りの工業化の市場競争の弱さが露呈して、財政破綻をきたし政権基盤が崩壊してゆくにつれ、政権維持に躍起となり強権によって保身を図る。政権側の独裁と腐敗に対して、貧窮と服従を強いられる「スラム」住民の、特にだぶついて職につけないでいる青年層の、不満が昂じていき、やがて政権と住民との間の政治的亀裂が口を開き始める。政権の正当性とカリスマ性に対して、その「近代化」の理想やスローガンに対して、疑問が投げ掛けるようになる。民族独立は理想主義から悲観主義の分水嶺を越える。
 「近代」の作用によって生み出された普遍的に蔓延する精神的混乱が、その「近代」のイデオロギーによっては救われないことを、宗教関係者は直感していた。その間、政権に利用されるか政治のへの関与を拘束されていた宗教勢力、特にイスラム教指導者は、西欧的「近代化」という「世俗的」社会変革そのものに異議を唱える。そうした混乱を逆に「社会の基礎を聖書に見出す世界の再構築へと変貌させ」、スラム住民の宗教的道徳観の凝集と運動へ方向づける。

田路 慧「人間と現代」


2016年7月18日月曜日

原子爆弾と毒ガスの大量惨殺

 1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、B29二機が広島上空を通過、突然、ピカッと大閃光を発し、大混乱である。岡山放送局を呼び出し、その第一報は、「特殊爆弾により、広島市は全焼死者17万人の損害」と伝えた。大本営は「相当の被害」のみの発表であった。7日、トルーマン大統領の声明で原子爆弾であると報告された。もし天候が悪かったら、小倉に投下されていたかもしれない。前夜は、宇部市が長時間にわたって空襲を受けた。第二部隊には老兵が続々入隊し、9日にはソ連が満州になだれこむ。一方日本では9日の11時20分に、二つ目の原爆が長崎に落とされた。広島は一望千里の焼野原になる。地形に突出や起伏が多い長崎では、死亡7万3884人で、被害が広島より少なかった。その時の奇妙な臭いは硫黄に似ている。
 広島の警報が解除されていたその時は、ほとんどの人が外に出ていた瞬間であった。瓦礫の山になる。水が科学反応によって毒性化した。日本では被害者の科学的な調査は全然行われない。日本政府は、ソ連に和平の仲介を頼み込んだが、米英に筒抜けになっていた。原爆により、広島全市は火の海と化し、却火は炎炎と夜空を焦がし続け、3日以上燃えた。余害は1週間にも及んだ。文字通り「死の街」であり「原子砂漠」となってしまった。

 アウシュビッツで、ドイツ国家権力の最高機関によって、計画され運営された大量殺人が起こった。4年間で400万人以上の人間を毒ガス焼却炉の中で殺した。その強制収容所は、戦争の始まる前に作られていた。ドイツ軍はポーランドに侵入したが、その抵抗は3週間で終わった。英仏はまるっきり動かずポーランドを見殺しにした。ワルシャワは、ヒトラーが地上から抹殺すると宣言し。破壊し尽くした街である。100万人の人口が1万4000人まで減っていた。
 当時ヒトラーは、ワルシャワにはユダヤ人の住居は存在せずと言い放っている。ユダヤ人はことごとく強制収容所に送られた。ナチの教義は全ユダヤ人の絶滅にあった。3月の間に130万人以上の人間を粛清した。アウシュビッツは奴隷の収容所であり、ビルケナウは膨大な人間絶滅工場であった。
 貨車から追い出され親衛隊の手でより分けられ、「選抜」に漏れた者は死の行列を作ってガス・カンマーに追いやられた。地下の脱衣場で、消毒のために入浴すると言われ、裸で200人ほど部屋に入る。部屋にぎっしり押し込まれ、錠が降ろされ、毒ガス「チクロンB」のエンジンが動き出す。30分経つと汚した死体を洗い、24人の歯科医が金歯や宝石を取る。ソ連軍の急迫で、その当時のまま残る。アウシュビッツは博物館となり、殺人された人々の骨は河の中に今も沈んでいる。ヒトラーは最後まで、ユダヤ人は人間の皮を来た獣であって人間ではないと言っていた。

黒田 秀俊「広島・アウシュビッツ」 

2016年7月17日日曜日

日本沈没からの脱出

兵員輸送船である富士丸は、徳之島の東方でアメリカ潜水艦の雷撃を受け沈没する。将兵4600名中で約37100名が死者となった。県庁職員の家族206名を鹿児島に疎開さす。2回目、巡洋艦「長良」から「小包トドイタ」と電文によって連絡される。その後、天草洋上で沈没する。本土への海は、すでにアメリカ潜水艦の棲みつく海になっていた。
 1944(昭和19)年8月21日午後7時に出港する。船員120名と学童700名を含む1680名の疎開者である。船体に高々とそびえる梯子があるも、乗るのに揺れて危険だった。甲板に這い上がった者の顔から血の色が失われた。比嘉儀一は梯子が1つしかない船倉に閉じ込められるより、甲板上の方が危険が少ないと判断していた。母は教師で「中に入りなさい」と、誤って海に落ちることを恐れて甲板上に出ることを禁じた。一等運転手から緊急時の避難方法の訓辞を受ける。
 船が不意に之の字運動を続ける。異様な音響が起こり、得たいの知れぬざわめきが、体を包む。弟の手を取って甲板上に駆けた。船がかなり傾いている。内部からすさまじい叫び声が吹き上がっている。梯子を登ろうとする人々が争って、登りかけた者の体を他の者が引きずり降ろし、つかみ合う。2発目の魚雷が命中、水柱が高く上がる。数名の女子学童がしがみついて来た。異様な恐怖を感じる。3発目が命中する。折り重なって倒れた。「飛び込め」という叫び声が上がる。4発目の炸裂音がして、船は中央から裂けた。気がついて海面を見ると、救命衣を付けた死体ばかりで、死者の海と化している。50m前方に激しく動く人の群を見た。竹を組み合わせて作った筏であった。目を怒らせた人々の体で固く包まれている。木箱を押して、潮流に身をまかせて、ヒロシと弟の名を呼んだ。「はい」という声がした。片腕で竹を抱いて顔を突っ伏している。奇跡だ。竹の仮救命筏を組み合わせて這い上がる。筏上は10人近い人になる。船員が、筏を分けて欲しい。助けを仰ごうかと思うと言う。「弟を連れて行って下さい」と船員に言う。ふかにより老人が下半身を食べられ、海中に引きこまれてゆく。黒い体に、板切れを振り続けた。飛魚をむさぼり食った中年の女性の呼吸が止まる。海中に滑り落とす。最後には4人しか残っていなかった。掃海艇に救い上げられる。
 めざす陸地は鹿児島だ。乗客者1680名中、生存者は107名、学童700名のうち59名しか生き残っていない。母と妹の名前はなかった。祖母の家に行く。沖縄が玉砕した2か月後に終戦となる。アメリカ軍から沖縄へ疎開者を送還する指令が出た。島は赤茶けて知らぬ島になっていた。艦から降りると、DDTの粉末を吹き付けられた。背後に人の気配がした。叔父の子である。テントの集落に住んでいた。沖縄本島南端の摩文仁は死者の骨でおおわれていた。死者の骨のみが棲む場所である。

吉村 昭「脱出」

2016年7月16日土曜日

自己防衛と平和友好関係

 今も昔も、国々が戦争をはじめ、たがいに攻撃するようになる、その原因はいろいろあるが、よく研究してみると、帝王または将軍、宰相といった連中の、功名を好み武威を喜ぶという感情、これがいつもわざわいのきっかけとなる。
 だから、すべての国々がみな、民主制をとるのでなければ、戦争をやめることは、とうてい望むことはできない。この点を考慮せず、当時の各国の現実情勢には少しも注意を払わないで、ただ昔ながらの制度を踏襲するだけで、あまり改革を加えようともせず、もっぱら条約や同盟といった枝葉末節だけをたのみとして平和を実現しようと考えている。あにはからんや、帝王、将軍、宰相といった連中は、ただおたがいの力の強弱だけを比べて、むこうが強くてこちらが弱ければ、仕方なく一時的に講和し、条約を結んでひと息つこうと試みるが、いったん国が富み兵は強くなったあかつきには、たとい千枚の条約があったところで、彼らの不逞の欲望を妨げることはできない。
 さまざまな国際法を道徳のなかに入れて、法律のなかに入れようともしなかった。およそ法律というものは、それを司り施行する役人というものが必ずおり、しかもそれを犯すものがあれば、必ず懲罰する。そうでなければ、真の法律はとうていできない。道徳は守ろうと守るまいと、ただ人々の良心の問題にすぎない。国際法も、施行にたずさわる役所もなく、懲罰をつかさどる役人もいない。
 帝王や宰相が功名を立てるために、わずかなことを口実にして武器を振り始める。民主国では、理法、平等、博愛という感情の3点を社会の基礎にしている。他国に勝とうと思うのは、ただ学問の精密さ、経済の豊かさこの2点だけである。君主国は有形の腕力によって隣国に勝とうし、民主国は無形の思想によって隣国に勝とうとしつ、民主国は無形の思想によって隣国に勝とうとする。
 地球上の多くの君主国は、君主制を守って、禍を招こうとしている。地球上の強固は、わたがいに恐れあって、兵隊をやしない、軍艦ををならべて、かえって危険におちいっている。もろもろの弱国は、自発的に断固として兵隊を撤退して、軍艦を解散して、平安を選ぶ。自国の生命を守るために、ひたすら自己防衛して、警官の来るのを待つのがなりよりである。良策とは、世界のどの国とも平和友好関係を深め、万やむを得ない場合になっても、あくまで防衛戦略をとり、遠く軍隊を出征させる労苦や費用を避けて、人民の重荷を軽くするように尽力することである。

中江 兆民「三酔人経倫問答」

2016年7月15日金曜日

勇気は一種の醜悪・罪悪

 人間は他人の助けがなければ、自然に要求されるものを手に入れ実現することができないので、生活の必然性に迫られて他人と協同し結合する。反対にもし我々の生存と生活に必要なものが伝説の魔法の杖のように供給されるなら、優れた天賦の人はみなあらゆる仕事を放棄して認識と知識に没頭するであろうというのは誤っている。やはり孤独をのがれて研究の仲間を求め、互いに教え互いに習い、聞いたり聞かれたりを望むに違いない。従って人間の社会的な結合を守って力があるすべての義務は、当然単に認識と知識に由来する義務よりも上位に置かれる。
 当然に問題も起こされるであろう。本性に最も深く根ざす共同性は、節度や謹慎に対してさえいつも優越するとは思われない。世の中には、賢人なら、たとえ祖国を救うためにも行うのを潔しとしないほど、一面では醜悪、他面において罪悪的なことがらがあるからである。あまりにもいまわしく見苦しいものがあって、口にもできないほど醜悪だといえる。賢人は国家のために取り上げられることはなく、国家もそれを望まない。これらの醜いことが賢人によって行われることが国家の利益である事態はありえないからである。
 結局、いろいろな義務からの選択において、かの人間の社会的結合に根ざす種類の義務が優越するのは間違いがない。道徳的な義務の選択に際して、いずれを他に対して優越させるべきかは容易に判定できるからである。しかし社会的共同体自体に関してもその義務の段階があり、段階のあることを知れば、義務のいずれを他に先立てるべきかも知ることができる。例えば、第一の義務は不死の神々に、第二は祖国に、第三は祖先など段階的に義務が尽くされるに至る。
 常に人間は、それが道徳的に高貴か、醜悪かにまどうだけでなく、高貴さのうちいずれはが高貴かについても迷うことがわかる。



マルクス・トゥッリウス・キケロ「義務について」(最後の著作)

2016年7月14日木曜日

私の終戦前の証言

血と飢のフィリピン戦線

日赤出身の従軍看護婦は軍人と同様「赤紙」を受けて各戦線に出征していった。1944(昭和19)年ルソン島を敗走して、約6万2千人のうち4万9千人が戦死する。1945(昭和20)年頃になると、爆撃により病院もたたんで、山の方へ撤退していった。病気はチフス、アメーバ赤痢、マラリア、結核である。1945(昭和20)年5月には内地からの補給は途絶えた。薬もなく、治る見込みのない人には使わず、死体を裸にして使えるものは全部取る。深く掘った穴の中に5人一緒に埋めてしまう。誰かが死んだら、その軍服を下さいと予約する人もある。しまいには死体は道端にごろごろ転がっていた。最後の時には、昇汞錠を飲むことになっていた。投降し収容所に入る時、持ち物は汚いと火の中に燃やされる。シラミが湧いていた。

義烈空挺隊の最期

 長谷川道明は、新婚4か月で沖縄に出撃する。ボロボロの飛行機で胴体着陸し、手榴弾で合計26機の米軍機が破壊された。7万ガロンのガソリンが炎上し、特攻死した。

ひめゆり部隊と鉄血皇隊

  1945(昭和20)年4月1日、沖縄にアメリカ軍が上陸する。戦死者は米軍1万2千人、日本軍は10万人、一般市民の犠牲は軍隊を上回る15万人に達する。本土決戦の防波堤の役割を果たす教育は、前々から叩き込まれた。マイクで住民に危害を加えないから出てこいと投降の勧告をする。結局アメリカ軍の捕虜になった。

特攻戦発動

 「震洋」は、ベニア板製のボートに自動車のエンジンを搭載し、爆薬を積んで目標に体当たりするというものである。自殺艇と名づけていた。日本本土決戦こそ、ベニア板製の大きな戦場となるはずであった。

爆弾から貨幣まで

 太平洋戦争に入ると、日本は金属材料の途を閉ざされ、生産は低下した。1942(昭和17)年、銅像、梵鐘など根こそぎ供出を命じ、ついにお金まで回収され、さらに目をつけたのが瀬戸物で硬貨を作れということになった。かつては第一次世界大戦にドイツが発行していた。
 佐賀の有田焼は、秀吉が朝鮮より陶工の李参平をつれ帰り、開かせた。一銭陶貨を、月に一億個の指令が下りた。軌道にのった頃に終戦となる。京都で十銭陶貨、瀬戸で五銭陶貨の出産は日の目を見なかった。胸磁器で毒ガス弾、手榴弾、地雷を作り、それを研究するのに二年かかった。特許庁の呼び出しに、金がないから行かれぬ。特許庁の呼び出しに、金がないから行かれぬ。特許庁から佐賀県知事に手紙で「知らんですむか」と知事から五十円もらう。手紙が行き、旗を持ち東京に行く。参謀本部、軍令部でもお金をもらい、合計7万5千円となる。よその者には金は出させんと、有田で資本を作る。地雷を約50万個、手榴弾を1000万個作る。追撃砲の無撃砲針雷管は、実験したら一番成績が良かったので月300万個作れと命令される。

実らなかった海外終戦工作

 太平洋戦争の指導者には、冷静客観的な判断力と勇気がなかった。緒戦の勝利に酔った軍は、鼻息ばかり荒くなり、沖縄失陥という土壇場になっても本土決戦を呼号し、軍のメンツを優先した。

原爆・ヒロシマ証言

 1945(昭和20)年8月6日、8時15分、エノラ・ゲイ号が広島市大手町の島病院の上空570mで、原子爆弾を落とす。20万人死亡する。建物5500戸全焼、6800戸が全壊した。

ポツダム宣言秘話

 ポツダム宣言を、最初にキャッチしたのは外務省のラジオ室であった。天皇については触れず、戦犯について強調する。戦後処理の座長格のドゥーマンは、奈良県山中中学校を卒業後に、アメリカの大学を出た人であった。天皇制廃止となれば軍を降伏させる方法はなく、日本は内乱となり、予定通り九州上陸して来たと思われる。

ソ連ついに参戦す

 1945(昭和20)年8月9日、ソ連参戦が日本の止めの一撃となる。長崎にも二発目の原爆が落とされ、来るべきものが来たと感じた。佐藤尚武ソ連大使は1945(昭和20)年5月に日本に帰っていた。

2016年7月13日水曜日

あべこべ文化の相違に反抗

   欧州人は顔に刀傷があることは醜いこととされている。日本人の間では、戦場で敵から顔などに受けると名誉とされ、背後に切られると卑怯、恥辱とされる。
 欧州人は苦しみをやわげるために髪を刈りまたは頭を剃る。日本人は悲しみや喪、恩寵を失ったために頭を剃る。
 欧州人の剣の利鈍を材木や動物で試される。日本人は死体の身体で剣を試みる。
 欧州人は20歳の男子でも、ほとんど剣を帯びることはない。日本人の武士は元服すれば刀と脇差を帯びて歩く。
 欧州人は生児の健康のために乱刺して血液を採る。日本人は血液は採らないが火の塊で焼く。
 欧州人は罪の償いと救霊を得るために修道会に入る。日本人は逸楽と休養の中に暮らし、労苦から逃れるために教団に入る。
 欧州人は清貧の誓いを立て世俗の富貴から遠ざかる。日本人では檀家を食い物にしてあらゆる手段を講じて自ら富み栄えることを計る。
 欧州人は良き修道士は地位や名声の上がることを非常に嫌い畏れる。日本人は昇進には莫大な金銭がかかり、誰もが死ぬほどそれを求める。
 欧州人の修道士は常に平和を念願し、戦争は甚大な苦痛である。日本人では戦争を仕事とし、戦闘に赴くために領主に雇われる。
 欧州人の修道士は心の純粋と清浄を得るために最も務める。日本人では住院や庭、寺院はきわめて清浄にするが、霊魂について忌まわしい。
 欧州人は来世の栄光と却罰、霊魂の不滅を信じている。禅ではこれらをすべて否定し、生まれることと死ぬ以外は何もないとしている。
 欧州人は唯一デウス、唯一の信仰、唯一の洗礼、唯一のカトリック教会を唱導する。日本人は、十三のし宗派があり、すべてが礼拝と尊崇は一致していない。
 欧州人は説教壇で説教をおこなう。日本人は大学教授のように椅子に着いて説教を行う。
 欧州人は主人が死ぬと泣きながら墓まで送って埋葬する。日本人ではその腹を裂き、多数の者が指先を切り取り屍を焼く火の中に投げ込む。
 欧州人は完全に武装具を着けなければ戦いに赴かない。日本人は首に首当を着けただけで十分である。
 欧州人は自殺を最も思い罪としている。日本人は戦争の際に力尽きた時は、腹を切ることが、勇敢なこととされる。
 欧州人は死刑執行人になることは最大の屈辱である。日本人はどの人も死刑を執行し、自らの誇りとしている。
 欧州人は食欲がないと無理にでも食べさせる。日本人はそれを残酷と考え、食欲のない病人は死ぬにまかせている。
 欧州人は財産を失い家を焼くことに大きな悲しみを表す。日本人はすべてのことに関して表面上はきわめて軽く過ごす。
 欧州人は、人に正当な理由こがあり身を守るためなら、他人を殺しても人の生命は助かる、日本人では、他人を殺すと死ななければならないが、姿を表さないなら他人が代わりに殺される。
 欧州人は召使や従者の懲戒は鞭打ちで行う。日本人では首を切ることが、懲戒ともなる。
 欧州人は怒りの感情を大いに表し、短慮を抑制しない。日本人は特異の方法で抑え、中庸、思慮をする。

ルイス・フロイス 「ヨーロッパ文化と日本文化」


2016年7月12日火曜日

死は好奇心の事柄ではない

   死の問題は単なる好奇心の事柄ではない。自己の存在そのものの不安に動かされることなき好奇心は人間の主なる病気のひとつに過ぎない。「この無益なる好奇心にあるよりは、誤謬のうちにあることがむしろ彼には無害である」いかにも好奇心は我々においてひとつの不安を喚び起こすものであるが、この不安は好奇心が我々をあたかも自己の生の地盤から奪い去って終わることなき放浪に追遣るところに生まれる。あるいは生の根本的規定そのものでさえある不安とは明確に区別さるべきである。好奇心はひとつの虚栄に外ならぬ。ひとは最もしばしばただ何事かについて他に語らんがためにのみその事をちろうと欲する。
 しかし。死は人間の根本的規定によって必然的にされた問題である。それはパスカルが伝統的な神学から単に承けて来たものではなかった。なぜなら彼は彼の議論をすべて「彼すべてからの心臓において吟味する」ことをしたからである。それは彼に退却と譲歩の余裕もなく襲い来る問題であった。
 死について問うことは論理的には何らの必然性をもたぬであろう。私は死の必然性を演繹し得る如何なる論理も知らない。むしろ死はその前にはあらゆる論理的演繹も歩みを止めねばならなぬ単純なる事実、それに面してはあらゆる論理的明証も揺り動かされる残酷な現実である。論理の美しき水晶宮に安らう者にとっては、死を尋ねることは狂気でなく気紛れに過ぎないであろう。ひたすらに斉合的なる体型を欲する人々にとっては、死を論ずることはたかだか「均斉のために盲窓を作る」こと以外の意味をもたないであろう。
 しかしながら人間の存在が最も問わるべき存在であるのを知る者には死は退引ならぬ問題である。哲学が生の覚醒と振盪であることを理解する人々には死は最も考慮されるべき事件である。我々の存在に関するすべての問と反省はあたかも自然の重力に引きずられておのずからこの一点に集まって来る。この必然性を解釈するためには、何よりも人間的存在の基本的規定を考察せねばならない。そしてこのように死の問題が重要な位置を占めるところに存在論がいわゆる心理学から区別されるひとつの特質は見出されるであろう。

三木 清 「パスカルにおける人間の研究」

2016年7月11日月曜日

思想が生涯の眼目

  早くも私はいかなる了見にも一面の真理があって、それがますます人を迷わせて了見を発作的に固執されるのだと悟った。この洞察は私の生涯が進んで行くに従ってますます著しくなって来た。その後は2人の人が私の目の前で真理について争う場合には、私はその真理を正に双方から知った。だから、私は決して好んで一方に味方するようなことはしなかった。しかも、それが私にとって幸福だった。
 私の内的生命の形成に同様な決定的影響を及ぼした一つの苦い経験があった。キリスト教を身に付け、キリストを生活に実現し、イエスに私没することが既成の協会宗教によってますます繰り返し要求された。これらの要求は、父の教育上の熱心さや生活上の熱心さのために幾度となく示された。
 その要求が児童の心情にしっくりする場合には、児童は全く制止することも知らずに要求を全体として受け入れた。認識もすればまた完全にそれを果たそうとする。この要求が度々繰り返されたので、私はこれをとても大切なことと思った。
 しかし、それを果たすことは大きな困難であり、実に全く不可能であると思われた。私はこのように信じた矛盾ははなはだしく、私を圧迫した。そこにやっと喜ばしい考えが浮かんだ。人間の本性そのものは本来人間をしてイエスの生活を再び純粋に生活しかつ実現することを不可能にするものではない。かえって人間はもしそれへの正しい道を歩むなら、純粋なイエスの生活を獲得できると考えた。
 これを思うたびに私の少年時代の境遇と事情とは帰属するような気がする。この思想はほぼこの時代の終わり頃のものだったろう。従ってこの時代の内的発展の叙述の終結としてもいい。この思想が後に私の生涯の眼目になったのである。

フリードリヒ・フレーベル「フレーベル自伝」


2016年7月10日日曜日

精神の完全に無力化

  人間自身と同じように、社会生活もそれの世界なしにはすまされない。それの世界の上を汝の現存がおおうている。利潤への意志、権力への意志は、人間自身への意志と結びつき、これに支えられているかぎり、自然で正しい結果を生む。人間の衝動は、汝から分離しない限り、悪い衝動ではない。汝と結び、汝によって決定される衝動は、社会生活の原形質である。
 これに対して、汝からの分離は社会生活の解体となる。利潤への意志の領域たる経済、および権力への意志の領域たる国家とは、精神に参与する限り、生命に参与する。しかるに、もし経済や国家が、精神を放棄するならば、彼らの生命も終わりとなるであろう。その生命がつきてしまうまでには、むろん相当の時間がかかる。そのしばらくの時間を思い誤って、なお幻影を追い求めようともがくが、すでにその作用は渦を巻いている。
 事実、ここに至っては少しぐらいの直接的な力を導入しても無益である。経済機構や国家組織の膨大な力を多少ゆるめてみたところで、汝と呼びかける至上の精神が失われている事実を埋め合わせるわけにはゆかない。どのような改革を試みても、一時的な周辺的な逃れでは、生きた中心との関係を回復させることはできない。
 人間の社会生活は、その機構のすみずみに至るまでゆたかな汝との関係の力が浸透することによって、生命をもち、精神の中にこの関係の力を集中結合することによって、社会の具体的な形体を生み出すのである。この精神に忠実に従う政治家や経済人は、自己と関わり合う民衆を無造作に汝の担い手として取り扱うならば、彼らの事業を無駄にしてしまうことをよく知っている。
 しかし、それにもかかわらず、むろん無造作に行うのではなく、精神が彼らにぎりぎりの限界においてではあるにせよ、かかわり合う民衆を、汝の担い手として取り扱うのである。かくして汝から分離した社会機構を破壊するかもしれない狂気を、汝の現存の支配のもとにおさめることに成功する。こういった政治家や経済人は熱狂家ではない。
 国家が経済を支配しようと、あるいは、経済が国家に権威を与えようと、両者とりたたて変化がないならば、それは重大な事柄ではない。しかし国家の制度が以前よりさらに自由になり、経済が一掃公正となるならば、重大な問題であろう。社会生活の解体とともに、社会生活から無関係な一領域となれば、むろん精神が社会生活に生きることはあり得なくなるだろう。これは、その世界に転落してしまった諸領域が、まったく暴政にまかされてしまい、しかも精神が完全に無力化されてしまうことを意味する。

マルティン・ブーバー 「我と汝・対話」

2016年7月9日土曜日

憲兵隊に惨殺された征服の事実

   各種族は共通起源も失って、各々違った言語や風習や宗教を持つようになり、全く異なった種族を形づくってしまった。互いに接触するごとに、衝突となり戦争となって、残酷な敵同士となった。攻撃と防御の発明の有力な刺激となった。戦争の勝敗は今も昔も、個人の勇敢という事よりも、むしろ武器の器械的優劣によるものである。野心深い首長らは、互いに攻略を競い始めた。
 種族闘争は、他の種族の征服からである。勝利を占めて征服者となり、他の種族は被征服者に陥る。密接な接触をするが、到底同化する事ができず、両極に分かれる。征服者は常に被征服者を蔑視し、あらゆる方法で奴隷化する。被征服者は、仕方なしに服従しながらも、暴力以外の一切を認めない。互いに敵視し反感する社会の両極を形作る。
 不平等は、地位の不平等以上に、全く異なる種族は異なる言語や神を崇拝している。異なる風俗と習慣と制度を持っている。被征服種族は、それらを失うよりは、むしろ退治し尽くされる事を望んでいる。征服種族は、絶対的軽蔑をほしいままにしている。征服者が本当に被征服者を征服するための社会の諸制度が生まれた。
 征服者は、絶えず兵力を用いる困難と費用および部分的失敗が一大負担となった。一時は勝利の誇りに駆られて、権威に対する反逆者を、見つかり次第に厳罰に処した。犯される行為を圧伏するための一般的規則を設けた。甚だ経済的なので、広い範囲の行為にも、一般的規則を設けた。この法律に服する事が被征服者の義務であり、違反にならない行為が権利とした。
 同時に、征服者による教育が行われた。地位の不平等を維持するため、被征服者は劣等種族である観念を心中に増え付けねばならない。疑惑を挟めば、社会の安寧と秩序に大きな混乱を生じる。国民教育の起源にして基礎たる組織的に詐欺手段が行われた。種族の譲歩をさせ、空虚な誇りと諦めに陥り、両種族の間に皮相的詐欺を進めていく。
 この征服の事実は、過去と現在から未来の人類社会の根本的事実である。この征服の事が明瞭に意識されない間は、社会の出来事も正当に理解できない。征服とそれに対する反抗を触れないで、日常生活まで圧迫してくる事実を忘却させ諦めさす組織的詐欺の有力なる手段である。

大杉 栄 「大杉栄評論集」


2016年7月8日金曜日

滅亡前に戦争をやめる

    サイパン陥落により、東条英機はその責任者として辞職に追い込まれた。天皇の意見も考慮せよとの事であった。東条の政策を批判した逓信院工務局長の松前重義は、熊本6師団から2等兵の招集令状が出て、最も危険な前線に送られる。憎まれる原因は「戦時日本製産計画」により米国に比較して生産力が劣っていると報告したからだ。一徹の頑固者は、熊本(肥後もっこす)、薩摩(けすいぼ)、土佐(いごっそ)、伊予(ほっこまい)と呼ぶ。
 松前が44歳の時、徴兵年齢が満45才に引き上げられる。東条は自分に反対する者を軍の権力を持って召集し、死地に追いやる。通信関係の技術者は重要人物として召集免除になっていたが、松前は2等兵になり、竹塚軍曹に上靴で頬を殴られる。松前は、古い電話器で雑音が多いのを、分解しすみやかに直す。古参兵の態度はかなり変わってくる。2年9か月政権を担当した東条政府は、独裁態勢によって崩壊した。
 1944(昭和19)年8月5日夜陰に出発する。松前薬局の前で小休息する。通知があったとみえて茶菓の接待を受け、兄が薬の入った袋をくれる。兄顕義は後に日本有数の柔道家になる。重義は、熊本の学習院の優等生になり「長大」と仇名が付いた。中学卒業の時、柔道は3段の実力がある。東北帝国大学の電気工学科を受験し、280人中で合格者の2人に入る。卒業して逓信省に入る。妻の信子は、鹿児島市の医師森三木の次女である。博多に着いて、停車7分あると電話しているうちに列車は発車している。山口課長に門司まで、木炭車で送ってもらい、危うく重営倉を免れる。工兵隊に入営する時に、勲三等旭日章を首に下げてゆくと、下士官が驚く。勲三等を吊れるのは連隊長、旅団長クラスしかいない。
 若松より淡路島の輸送船で南方に赴く。「積荷は全て爆薬です。東支那海でお陀仏」と言われる。松前の田中隊のみ乗船を命じられる。東条一派の松前を海の底に葬ろうと仕組まれた死刑である。他の吉田丸と福嶺丸が沈没した。看護婦や兵士が一瞬にして消えた。高雄に入港し、浦戸丸に乗り換える。淡路丸は大爆発する。電気の修理により、松前先生となる。そばにいると彼らは気強いのであろう。マニラに上陸し、寺前南方総軍司令官に「総司令部付、ただし平服着用を許可する」という辞令を作ってもらえる。サイゴンに移動後に「陸軍兵器学校に転属を命ず。直ちに空路東京に期間すべし」飛行機の車輪の事故の故障で遅れ一命を助かる。運の強い男である。東条一派の分子も鳴りをひそめる。
 近衛は女性的で優柔不断で「近衛文子嬢」である。広田は決断力がないので「雌」である。平沼棋一郎は「朝鮮のミイラ」である。東条は裏切り和平論者を一掃すれば戦力も増強できると考える。土壇場になった憲兵出身者はこれが思考方法であった。中野正剛の国政変乱罪には逮捕の物証がない。立法権の弾圧になる相手は、国会議員である。中野は憲兵隊で造言蜚語の件を自白したと言い、家に帰り「自らを笑う」と遺書を残し、何も言わず死んだ。松前の次男紀男が疫痢になり危篤、電話連絡し鈴木医師にみてもらうと、急性肺炎で助かる。無装荷ケーブル通信の成功のおかげである。
 1933(昭和8)年、松前は逓信省からドイツ留学、ヨーロッパ視察の命令を受けた。松前と筑原は、無装荷方式で新京ー京城ー東京をケーブルで結ぶ。満州に行くと匪賊の目標となる。完成し、明瞭な通話ができる。東北帝国大学は工学博士の学位を贈ってくる。浅野賞1000円で、キリスト教のため300坪の望星学塾を作る。無装荷ケーブルの発明で。毎日新聞から「大毎通信賞」を受賞する。
 敗戦後に逓信院総裁に就任する。松前は、東海大学を設立後に、公職追放解除となり、5年後に晴れて学長・理事長になる。東京野球場を造る。1952(昭和27)年より、6回代議士に当選する。FM東海放送の電波利用の通信教育を完成される。附属高校も北海道から九州まで各地にできる。柔道の山下泰裕選手を日本選手権保持者に育て上げる。兄も脳腫瘍で76才で逝去し、講道館は得に重義に9段を贈った。
     東条内閣の発表する軍需製産計画は、現実から遊離した空念仏にすぎない。滅亡する前に戦争をやめるべきであった。

  豊田 穰「二等兵は死なず」

2016年7月7日木曜日

ニーチェの戦争実施4要項

   戦いとなると、本性上は戦闘的である。攻撃することは私の本能の一つである。敵となりうること、敵であること、強い天性を前提とする。すべての強い天性の所有者に起こることである。天性は抵抗するものを必要とする、抵抗するものを求める。攻撃的な感情が強さに必然的に伴うものであることは、復讐や遺恨の感情が弱さに伴うのと同様である。復讐心が強いのは弱さに由来して、他人の苦しみに感じやすいのが弱さに基いている。
 攻撃する者の力の強さを測定するには、どのような敵を必要としているかが一種の尺度となる。ひとの成長度を知るには、どれほど強力な敵対者を、どれほどの手ごわい問題を、求めているかを見ればよい。戦闘的な者は、問題に対しても決闘を挑むのである。めざすことは、抵抗するものに勝ちさえすればいいのでなく、自らの力と敏活さと武技の全量あげて戦わなければならない相手すなわち自分と対等の相手に打ち勝つことである。
 敵と対等であることは誠実な決闘の第一前提である。相手を軽視している場合、戦いということはありえない。相手に命令をくだし、いくぶんでも見下している場合には、戦うに及ばない。
 私においては戦争を実施する要項は、4箇条に要約できる。
第一に、勝ち誇こっている事柄だけを攻撃するあるいは勝ち誇るようになるまで待つ。
第二に、同盟者がみつからない事柄、孤立し、危険にさらされる事柄だけを攻撃する。
第三に、決して個人を攻撃しない、強力な拡大鏡のように害悪を利用するだけである。
第四に、個人的不和の影は帯びず、いやな背後の因縁が全くない対象だけを攻撃する。
 攻撃することは、私においては好意の表示であり、あるいは感謝の表示と思い込む。私においては、名のある事柄や人物の名に関わらせることによって、それらに敬意を表し、顕彰すると思い込む。私においては、それらに味方してか、それらに敵対してか、どちらも同じことだ。私においては、キリスト教に戦いを挑むが、その資格を許すのは、キリスト教の側から何の危害も障害も受けていないからである。最もまじめなキリスト教徒は、私にいつも好意をよせていた。私自身においても、キリスト教の苛烈な敵であるが、何千年来の宿命であるものを、個人に対して根にもつなどということは、思いにもよらぬことである。

 フリードリヒ・ニーチェ「このひとを見よ

2016年7月6日水曜日

宇宙は無限で火刑

   令名いと高き騎士殿。もしも私めが、小作を生業として羊を飼い菜園を耕し衣服の繕いに精出す身でありましたならば、私に目もとめるなど誰一人ございますまい。まず咎めだてされることもなく、すべの方々のお気に召すこともたやすくできるでしょう。
 しかるに私は自然の野の設計者として、魂の飼育をこととし、能才の栽培を目指し、知性の衣を織る熟練工なのです。それ故に、人々は威嚇の眼差しを私に送り、ある者は凝視して飛びかかろうとし、あるものは来り捕らえて咬みつきくらい殺そうとするのです。それは一人、いや少人数の者にかぎらず、大勢の、むしろほとんどすべての人々がそうだと言ってもよろしい。
 それは何故かと申しますと、私が世間を忌み俗流を嫌って、大衆に満足しえずに、ただ一者のみを愛するがためです。それによって私は、隷属の身ながらも自由でうあり、苦しみのうちに悦びを見出し、貧しながら富み、死にながら生きてあることができるのです。それ故にまた私は、自由でありながら奴隷となり、快楽のうちに苦しみを抱き、富ながら貧しく、生きながら死してある者たちになんの羨望をも感じないのです。
 彼らは肉体のうちにこれを囚縛する鎖を、精神のうちにこれを沈倫させる地獄を、魂のうちにこれをむしばむ病を、心のうちにこれを死に至らしめる昏睡を、秘めている。しかも、鎖を解き放つ勇気も、浮き上がるだけの忍耐力も、照射一層する光輝も、蘇生すべき知識も持ちあわせていないのです。
 だからこそ私は、困憊して、険しい歩みから踵を返すようなこともせず、怠け者のように、目の前の仕事も放棄するようなこともせず、絶望のあまり、立ち向かう敵に背を向けたり、眩惑して、神々しい目標から目をそむけたりしないのです。こういう自分がソフィストだと噂を立てられることは、私も感づいております。
 誠実であるよりも鋭さをひけらす学者だとか、古い真理を確認するよりも新しい誤謬の闇をまきちらして名声の光を追いまわす鳥追い人だとか、正しい訓練所を打ち壊していかさま装置を作り出す変質者だとか。
 私の努力がこの世に役立つ立派な実を結んで、光を仰ぎ見ることのできなかった人々の精神を揺り起こし、感情の花咲かせますように。自分のために勝利を手に入れたいためではありません。真実の知恵への愛、真の瞑想への憧れのためであり、そのために私はかくも心を砕き傷め苦悶しているのです。
   生き生きとした理性にもとづき、統制ある感覚から生じるもので、真の死者として自然の主体存在から離脱してやってくる偽りならぬ形象によって通告するものであります。これを求め注視するものに現われ開示され、これを理解するものに解明されるものんのです。ここに無限、宇宙および無数の諸世界に関する私の瞑想を捧げるゆえんです。 

ジョルダーノ・ブルーノ「無限、宇宙および諸世界について」

2016年7月5日火曜日

汚名「九大生体解剖事件」の真相

   1940(昭和20)年5月17日、熊本県小國村の上空でB29編隊の後尾を日本の戦闘機が攻撃し、パラシュートで米兵が脱走した。1人は自殺し、1人は松の木にかかり死亡した。そのうちの1人は大群衆の中にさらされた。アメリカ留学した坂本獣医は捕虜をかばう。暴行を加える団長の猟犬が先導して射撃する。生存者5名の捕虜が西部軍司令部へ護送された。捕虜は裏の拘禁所に留置される。ワトキンズ機長だけ東京へ贈り、残りの4名は合法的処置が必要と思われた。上海では東京無差別爆撃を行った者は、戦時特別重罪人として、3名が死刑、無期懲役が5名となった。3月27日、福岡太刀飛行場がB29に襲われ、小学生32名が死亡する。
 2人の高級将校には、実験のため片肺摘出手術をすると話し合う。ポキポキと肋骨が5・6本切り取られるた。片方の肺臓が摘出された。「人間は片肺でも生きられる」と説明している。手術台の上に2人目の捕虜にエーテルの全身麻酔を充分にかけている。紫紅色の薄汚れた海綿体のような肺が取り出される。透明な輸血が血液の代用剤として実験敵に使用されて、軍医による抜血で生命を奪われた屍体が乗っている。血液が取られ、南京虫に殺虫剤と血液を一緒にして食べさせた。3人目の捕虜には、エーテル麻酔がかけられる。ウィリアム・アール・フレドリック少尉は、胃の手術のために胸骨の先端からヘソまで一直線に開腹され、ボギボギと音をさせて肋骨の何本かが切除される。心臓を停止して5分間心臓マッサージをし、蘇生できるか実験する。4人目の捕虜は肝臓の手術をする。腹膜が開かれ、胆のうが開かれ、胆のうのそばの大きいのが肝臓で、血の塊であり、メスを入れるが縫合はできない。その一分を切除しようとしていたが、血圧が下がる。その日も血液を撮り瓶に入れる。棺桶に入れられて2、3日間実習室に放置されていた。
 海軍大将の肩書を持つ百武源吾が九大総長に就任して以来、軍の配下に置かれる。5月25日、1人の捕虜が連行され実習台の上にのぼる。頭部の3分2が剃毛されて、頭蓋骨が糸鋸で口字型に開かれて、顔面神経痛の手術が行われた。切開の箇所が違って、出血多量で致命傷となって息を引き取る。6月2日、股に切開の傷、他2人は胸と下腹部にも傷があった。戦争の飛散と愚劣により8名の捕虜が死んだ。大森軍医は30代半ばの豪放崩落な人物であった。外科医の手術は等しく認める。なぜ吸血鬼に化したか謎である。6月19日、大森軍医は西部司令部の門前で右大腿部に焼夷弾が命中する。一夜にして福岡市の7割が焼けた朝、九大に運ばれ、右足切断となった。7月9日、20日間余り苦痛にさいなまれて、桃太郎さんを口ずさみ息絶えた。6月20日、B29搭乗員8人が処刑される。8月15日、油山で17人処刑される。
 1945(昭和20)年8月15日、日本は無条件降伏し、戦死者204万人、民間人110万人、空襲による死亡20万人、被災都市96、消失家屋143万戸であった。ワトキンズ機長は8月17日に釈放されていることが大本営より判明した。敗戦と同時に隠ぺい工作の指揮の乗り出した。関係書類は一括消去する。民間人の骨をもらい、福岡空襲で爆死と16名を市内の陸軍墓地に埋葬する。8名が広島の原爆で死亡、31名が飛行機墜落、全員が死亡と工作する。1946(昭和21)年7月12日連合軍から九大教授8名に逮捕命令が出る。石村教授はベルトで首を吊って死んだ。鬼才と呼ばる存在であった。
 54歳の小間使いの証言では、2つの遺体の首が切断され、腹は六寸決断されていた。肝臓の人食の探索がされる。「九大生体解剖事件」をいやがうえにも猟奇的な残虐行為として、人々を驚かせた事件であった。肝臓を食べた点を大見出しにあつかう。西部軍の偕行社病院の宴会で肝臓料理が出た事実がある。醤油で煮てあった豚の肝臓の方が人間よりも薄い色をしていたらしく、味では区別つかなかった。1948(昭和23)年8月27日判決された。絞首刑は西部軍の元司令官 横山勇、参謀大佐 加藤直吉、九大関係では高須太郎、広岡健三、森岡良雄が終身刑、森田健治、千田加孝、平光教授が重労働25年の刑を受ける。平光教授が巣鴨の拘置所を出たのは1955年11月27日でも約9年6か月の獄中生活であった。B29搭乗員を生体実験で殺害したのは中央からの指示で「適宜の処置」を部下が誤解したことから生じた。

東野 利夫


2016年7月4日月曜日

西田哲学-権力的倫理の悪

   純粋な他律的倫理、すなわち権力的倫理について述べる。我々が道徳的善は、一面において自己の快楽あるいは満足というごとき人生の要求と趣とは異なり、厳粛な命令の意味をする。道徳は吾に対して絶大なる威厳あるいは勢力を有する者の命令より起こる。我々が道徳の法則に従うのは、自己の権害や得失のためではなく、単に此の絶大なる権力者の命令に従うのである。
     善と悪とはこの如き権力者の命令によって定まる。すべて我々の道徳的判断の基は、教師の教訓、法律、習慣等によって養成される。かかる倫理が起こるのも無理はない。良心の命令に代えて外界の権威による。
  外界の権力者と考えられる者は、もちろん我々に対して、絶大の威厳と勢力をもたなければならない。権力的倫理が歴史上に現れたのは、君主を基にとした君権的権力の倫理と、神を基にした神権的権力の倫理がある。神権的倫理は、キリスト教あるいはイスラム教が無上の勢力をもっていた中世時代に行われた。神は我々に対して無限の勢力を有するので、神意はまったく自由である。神が善または理なるがゆえに命ずるのではなく、神が命ずるものが善なるのである。極端に至ると、もし神が我々に殺害を命じたなら、殺害をも善と至る。
 君主的倫理を主張したのは近代に出たホッブスである。人性は全く悪であって弱肉強食が自然の状態である。これによる人生の不幸を脱するのには、各々がすべての権力を一人の君主に託して絶対にその命令に服従する。なんでも君主の命令に従うのが善であり、背くのが悪である。その他中国では荀子がすべて先王の道に従うのが善であるのも、一種の権力的倫理である。
 権力的倫理はなぜ我々は善をなすべきか説明ができず、本来は説明できないのが権力的倫理である。唯一に権威であるからこれに従うのである。人は恐怖が権威に従うための最適な動機である。我々は、何でも絶大なる勢力を有する者に接する時は、その絶大なる勢力に驚嘆する。これは恐怖や苦痛でもなく、外界の雄大なる事物にかもにされて、平服し没入する。その絶大なる勢力者が意志を持つと、その命令に尊敬の念を持って服従するようになる。尊敬の念が、権威に従う動機に至る。
 我々が尊敬するのは、全く理由もない尊敬ではなく、不可能な理想を実現する可能性のために尊敬する。厳密なる権力的倫理は道徳は盲目的な服従となる。無意義の恐怖が権力的倫理が最も適当な道徳的動機と考えてとまう。人間が進歩発展するには、一日も早くその道徳の束縛を脱せなければならない。

西田 幾太郎 「善の研究」

2016年7月3日日曜日

闘争の概念

   行為が、単数あるいは複数の相手の抵抗を排して自分の意志を貫徹しようという意図へ向けられているような社会的関係は、「闘争」と呼ばれる。現実の物理的暴力行為を内容とせぬ闘争手段は「平和的」闘争手段と呼ばれる。平和的闘争が、他の人々も同様に得ようとする利益に対して自己の支配権を確立しようとする平和的形式の努力であれば。これは「競争」と呼ばれる。競争の目的および手段が或る秩序に従っている場合は、「ルールのある競争」と呼ばれる。諸個人や類型の間で生存或いは残存のチャンスをめぐって行われる、闘争的意図という意味を欠いた潜在的な生存競争は「淘汰」と呼ばれる。個人の一生におけるチャンスが問題であれば、「社会的淘汰」と呼ばれ、遺伝的素質の残存のチャンスが問題であれば「生物的淘汰」と呼ばれる。
 相手の生命を狙って、何一つ闘争のルールを守らぬ残虐な闘争があるかと思えば、騎士たちの闘争、交換における利益をめぐって市場の秩序に競争的闘争がある。それらの間には無数の段階がある。暴力的闘争の特有の手段の性質を考え、その使用から生ずる社会学的結果の特殊性から考えれば、暴力的闘争を概念的に区別することは当然のことである。
 すべて類型的かつ大量的に行われている闘争や競争では、いろいろの決定的な偶然とか運命があるにしろ、結局、平均的に見て、闘争の勝利に不可欠な個人的性質を多くもつ人間が選び出される結果に落ち着くものである。その性質は、闘争や競争の条件によって決定される決定される。社会的淘汰は、経験的な意味で闘争の排除排除を阻止し、生物学的淘汰は、原理的な意味で闘争の排除を阻止する。
 社会的淘汰は、諸関係の間の淘汰や闘争というのは、時間の経過に伴って、ある行為が他の行為によって駆逐される。戦争や革命によって国家を、残酷な弾圧によって反乱を、警察によって蓄妾を、法的保護の停止や処罰によって暴力的取引を妨害する。社会的行為の過程と各種条件とから、意外な副次的結果が生まれ、存続や成立のチャンスが減ることもある。これらの原因は多様なので、一つの言葉で表現すると、どうしても、経験的研究の中へ勝手な評価を持ち込む危険が生まれる。理論的に弁明するという危険が生まれる。

マックス・ウェーバー 「社会学の概念」

2016年7月2日土曜日

リヴァイアサン (Leviathan)

 全人類の一般的性向として、つぎからつぎへ力をもとめ、死によってのみ消滅する。永久不断の意欲をあげる。これらの原因は、かならずしもつねに、人がすでにえたよりも強度の歓喜をのぞむということではなく、またかれが適当な力に満足できないということでもなくて、かれが現在もっているところの、よく生きるための力と手段を、確保しうるには、それをさらにそれ以上獲得しなければならないからである。そしてここから、つぎのことが生ずる。すなわち、最大の力の所有者たる王は、国内では法により、国外では戦争によって、それを確保すべく努力し、それがなしとげられると、あたらしい意欲がそれにつづくのである。ある王は、あたらしい征服による名誉を、他の王は、安楽と肉感的なたのしみを、また他の王は、ある芸術やその他の精神の能力がすぐれているとしょうさんされへつらわれることを、欲するのである。
 平和の原因にたいする無知よって、人々は、すべての事件を、直接にして手段的な原因に帰せしめようとする。かかるものが、かれらがかんがえる原因のすべてを、直接にして手段的な原因に帰せしめようとする。かかるものが、かれらがかんがえる原因のすべてであるからである。そして、ここからつぎのことが生じる。すなわち、あらゆるところで、公共体への支払いをなげく人々は、かれらの怒を、収税者、すなわち微税請負人や徴収に人、およびその他の公収入役人にたいして注ぎ、そして、公共体統治の欠点をさがすような人々につきしたがう。さらに、こうして、正当とされる可能性のないことをしたばあいには、罰せられることのおそれや、寛恕をうけることのはずかしさのたるに、至上権威をも攻撃するのである。
 社会状態のそとには、つねに各人対各人にの戦争が存在する。人々が威圧しておく共通の力なしに、生活していねーる時代には、かれらは戦争と呼ばれる状態にあるのであり、かかる戦争は、戦闘や闘争行為のみに存するのではなく、戦闘によってあらわそうとする意志が十分にしられている期間に、存する。そして、したがって、時間の概念は、戦争の本質に関しては、不良な天候の本質は、ひと降りふた降りの雨にあるのではなくて、おおくの日をいっしょにした、それへの傾向にあるのであるが、それとおなじく戦争の本質は、実際の闘争に存するのではなくて、おおくの日をいっしょにした、それへの傾向にあるのであるが、それとおなじく、戦争の本質は、実際の闘争に存するのではなくて、その反対にむかうなんの保証もないときの全期間における、それへのあきらかな志向に存するのである。その他のすべての期間は、平和である。
 人々を平和にむかわせる諸情念は、死の恐怖であり、快適な生活に必要なものごとへの意欲であり、かれらの勤労によってそれらを獲得する希望である。そして、理性は、平和にかんする、つごうのよい諸条件を示唆し、人々はそれについて協定するようにみちびかれる。これらの諸条件は自然の諸法とよばれるものである。
 正義および不正という名辞が、その地位をもちうるためには、そのまえにそこになんらかの強制力があって、人々が新約破棄から期待する利益よりも大きな罰により、かれらに平等にに信約履行を強制しなければならず、かつまた、人々が相互の契約によって、かれらが放棄する普遍的権利のかわりに獲得する、所有権を、維持しなければならない。そのようなような力は共和政体(Common Wealth)の樹立以前には存在しないのである。そして、このことは正義についてのスコラ学派の通常定義からも推察されうる。かれらのいうところでは、正義は各人に各自のものをあたえようとする不断の意志である。したがって、各自のものがないばあい、すなわち所有権がない場合には、不正義は存在しない。また強制力が樹立されていないところでは、すなわち共和政体がないところでは、所有権は存在しない。すべての人々は、すべての物にたいして権利を有するのだからである。そこで、共和政体がないところでは、なにごとも不正ではない。このようにして、正義の本質は、有効な信約をまもるところに存するが、信約の有効性は、人々をしてそれをまもらせるのに十分な、社会的権力の設立によってはじまり、それと同時にに所有権もまた、はじまるのである。
 わたしは、人間の性質を、かれらの統治者のおおきな力といっしょに、のべてきた。神は、リヴァイアサン (Leviathan: ヨブ記第41章)の大きな力をのべて、かれを高慢の王とよんでいる。地上においてかれと比較されるべきものもない、かれはおそれをもたすようにつくられている。かれはすべてのたかいものをみくだし、あらゆる高慢の子たちの王である。

トマス・ホッブス

2016年7月1日金曜日

敵になるという事

    敵になるといふは、我が身を敵になり替へて思ふべきという所也。世中をみるに、ぬすみなどして家の内へと取り籠るやうなるものをも。敵をつよく思いなすもの也。敵になりておもへば、世中の人を皆相手とし、にげこみて、せんかたなき心なり。取籠るものは雉子也、打果しに入る人は鷹也。能々工夫あるべし。大ききなる兵法にしても、敵をいへば、つよく思ひて、大事にかくもの也。よき人数を持ち、兵法の道理を能く知り、敵に勝つという所をよくうけては、気遣すべき道にあらず。一分の兵法も、敵になりておもうべし。兵法よく心得て、道理とよく、其道達者なるものにあいては、必ずまくると思う也。能々吟味すべし。
 崩れという事は、物毎ある物也。其家のくづる々、身のくづる々、敵のくづる々事も、時のあたりて、拍子ちがいになりてくづるる所也。大分の兵法にしても、敵のくづる々所也。大分の兵法にしても、敵のくづる々拍子を得て、其間をぬかさぬやうに追ひたつる事肝要也。くずる々所のいきをぬかしては、たてかへす所あるべし。又一分の兵法にも、戦ふ内に、敵の拍子ちがいてくづれめのつくもの也。其のほどを油断すれば、又たちかえり、新敷なりて、はかゆかざる所なり、其くづれめにつき、敵のかほたてなをさざるやうに、慥に追ひかかる所肝要也。追縣くるは直につよき敵也。滝たてかへさざるやうに打ちはなす也。打ちはなふ事、能々分別有るべし。はなれざればしだる心有り。工夫すべきもの也。
 打つという事、あたるといふ事、二つ也。打つという心は、いずれの打にても、思ひ受けて慥かに打つ也。あたるはゆきあたるほどの心にて、何と強くあたり、忽ち敵の死ぬるほどにしても、是はあたる也。打つといふは、心得て打つ所也。吟味すべし。敵の手にても足にても、あたるとうことは、先づあたる也。あたるはさわるほどの心、能くならひ得ては、格別の事也。工夫すべし。

宮本 武蔵 「五輪書」

2016年6月30日木曜日

死の同心円

 長崎被爆医師の記録である。1945(昭和40)年8月9日、爆心地から1400mの病院にいた。南西の方向に暗黒色の煙と黄赤色の炎を見る。27年間間この地点に固着された化石のようになる。「広島市新型爆弾を投下被害甚大なり」と軍は発表する。8日に広島を見て帰った長崎医大の角尾学長が学生全員を集めて、異例の訓辞を行う。日本の知恵は貧弱であり「貧すれば鈍する」の諺通りで「知らせれば国民は一度に戦意を喪失する」ので、指導者はそれだれを恐れた。日本は盲目的に破局に突入しつつあった。
 真珠湾攻撃の1941(昭和16)年12月8日の朝、プルダン校長や外国人司祭は警官に拉致される。神学校を結核療養所に転換することを考えついた。お百度詣の根気に負けて県庁は認可する。私は「長崎の鐘」で有名な永井隆博士の直弟子になる。
 高原病院より裏紙病院に鳥が立つように行く。天の配剤である食事療法をする。盗汗が出て発熱する。早くも肋膜炎を食事療法で直してみせると決意する。招集令状が届くも即日帰郷となる。総動員法の成立によって日本人の所有権はすべて軍部の手に移ったのも同様である。ここを陸軍病院に使いたいと軍は言う。有無を言わせぬ語調だ。病院を丘の上に移すどころか、司令部の疎開さえ考えねばならない状況である。人工気胸をやるようになる。市街地は強制疎開が始まったおかげで、浦上病院に薬品がたくさん集まる。
 広島の次は小倉市であったが、雲が多くなる理由で急に長崎になった。1945(昭和20)年8月9日午前11時に病院が直撃弾にやられた。南西の方向に視線を移して愕然とする。地上が火を吐き、のたうち噴火している様に上がって来る。「熱い、熱い、水をくれ」と呻く。X線機械が燃える。引き出しの中の物が全部飛び散る。圧力が圧力を生んで部屋の中は何があるかさっぱり解らない。病院は燃えたが、70名の入院患者は全員助かった。浦上病院が1000俵余りの玄米、みそ、醤油の倉庫にあてられたのが役に立った。天主堂には2000表を保存していた。人間の内部細胞を破壊する恐るべき放射線には気が付かなかった。アメリカの科学人は「爆心地には75年間生物は生息しえない」と確信する。
 城山小学校の女教師が、背中に無数のガラスをハリネズミの様に受けた。深く筋肉に食い込んでいる異物の傷をこれまでに見たことがない。10個抜いて「もうやめてください」と、痛みと疲労であえぐように言う。警備隊が来て救護病院に来たと300人の負傷者をつれて来る。医者なら治療してくれと言われる。一包の薬品を持って来ただけで、一日分の薬品にもならぬ。多数の負傷者を置き去りにした。一昼夜すると60人の負傷者がいない。逃げて帰ったか。飯粒と見たのは蛆の大きなかたまりであった。吉岡女医の顔の傷を手術する。不思議な患者が日を追って増加する。紫黒色になって絶命する奇怪さであった。無条件降伏で、阿南陸軍大臣が割腹自殺する。病院の職員・患者全員がレントゲン・カーターに似た自覚症状を感じながら、食塩のおかげで克服する。酒が良いという話が広まる。アルコールが効くとは、人間の腸粘膜の細胞は不思議なものである。味噌汁と玄飯にできるだけ塩分を摂取させ、砂糖を禁じた。爆心地から500メーター以内の人々は、8月15日までにすべて死んだ。500から2000メーターの距離で被爆した人は40日間にほとんどが死んだ。「死の同心円、魔の同心円だ」。
 大雨が9月2日に降る。洗い流された気がする。アメリカ軍は8月26日に長崎に進駐すると同時に、医薬品をどんどん陸揚げし、救護所を開設した。アルカンタラ修道士、プルダン神父が反って来る。永井先生は大学病院で診察中に被爆し、側頭部の出血を包帯圧迫で止め。負傷者の救出に当たられた。占領軍のトラックが荷を降ろす。アメリカの薬があると聞き患者が多数来る。メチルアルコールで死者が6名も出て、失明して死ぬ。永井先生は、「神は、天主は浦上の人々を愛しているが故にここに原爆を投下させた。幾度も苦しまなければならない。」という。私は首肯する事が出来ず、慰霊文を書きたいと思わなかった。怒りの広島、祈りの長崎。神学校を病院にしたのは、戦争下の弾圧を切り抜けるための便法であった。教育し司祭として布教に当たらせるのは、フランシスコ会三十年の悲願であった。私は、世俗を離れて炭焼き小屋に行く。家を建て、村上看護婦を妻として迎える。私は7年ぶりに浦上病院に反って来る。大きく建て変わり、1949(昭和24)年天皇行幸、ペトロ男マリヤ女の死者達の霊が残る。

秋山 辰一郞

2016年6月29日水曜日

無意味な混沌が戦争

 無力な人間の意志が厳格に定められた宇宙の法則に対して絶望的に打ち勝っている陰鬱な光景を描いた。いっさいの人間の情熱の空しさ、合理的体系の馬鹿馬鹿しさについて語った。また人間が、行為と感情の非合理なバネを理解するのに全面的に失敗したといっている。すべて肉体を有するものは苦しみを免れない、したがって人間そのものを最高度の静寂主義の状態に抑え、もはや情熱を失ったので不満や屈辱や傷には不感症になることによって、人間の弱さを抑えるのが望ましいとも語った。この有名なショーペンハウアーの教義は、人間がおおいに苦しむのは、あまりにも多くを望み、愚かな野心を抱き、奇怪なまでに自分の能力を過大評価するからであるというレフ・トルストイの見解に反映されていた。
 自由意志の幻想と世界を支配する鉄の法則の現実との間の周知の対照関係、特にこの幻想を消滅させることができないために、それが不可避に引き起こさざるをえない不可避な苦しみを激しく強調した。人生の中心的な悲劇であり、人間の中のもっとも利口なもの、もっとも才能のあるものにとっても、みずから統制できることはいかに小さいことか。世界史の秩序ある運動を動かしている無数の要因について、いかにわずかしか知りえないでいることか。なににもまして、秩序が存在しているはずだということを絶望的に信じることが唯一つの便りに秩序を知覚したと称することは、すかに図々しいナンセンスであることか。人間はそれを知らないでいる。現実に人が知覚しているのは、無意味な混沌である。この混沌の高度の形態、人生の無秩序さを高度に反映している小宇宙、それが戦争であった。
 「世間では戦いがなんであるかを知りもしないで、さかんに戦いについて話している。広大な地域があらゆる火砲とその他の兵器の響き、指揮官の声、吠えるもの、倒れるものの声に眼を回して心もうつつ、まわりには死者と瀕死の人々、手足をもぎ取らた死体に囲まれ、不安と希望と怒りにかわるがわる取りつかれ、幾度もさまざまな陶酔に陥る。そうなったとき、人はどうなるであうか。彼はなにを見るであろうか。数時間後になにを知っているだろうか。本人と周りの人々にになにが起こるであろうか。その日戦った兵士の中で、どちらが勝ったかを知っているものが一人もいないことが多い(ジョセフ・メーストル)。」

アイザー・バーリン 「ハリネズミと狐ー戦争と平和の歴史哲学」

2016年6月28日火曜日

征服者に無数の大罪

    朝鮮人の暴動(1919(大正8)年に非武装的独立運動が朝鮮全土に拡大した三一独立運動)は、一時形勢すこぶる重大に見えたが、今や幸いにしてほぼ鎮定に帰した。しかしながら問題は今後にある、今後の善後処分にある。
 他民族の統治には、根本においすでに越えれない大溝があるのに、その上に、ややもすれば征服者の罪悪が無数に行われる。言うなれば被征服民族に対する征服民族の略奪である。朝鮮の合併以来幾年にもならない今日、朝鮮の富はすでにほとんど邦人に壟断され、いわゆる有利な事業という事業は挙げて邦人の手中に帰せる有様らしい。
 しかしてもし朝鮮人の中に極めて少数の産を成せるものあるか、そのごく少数の朝鮮人はことごとく邦人と結託し、邦人の手先となって働けるものならぬはないということだ。いう所に誇張もあろう。しかし邦人にこの種の壟断の事実の少なからずあるはいうまでもない。また朝鮮にいる邦人は犬馬を駆使するが如き態度をもって朝鮮人を駆使するとは、よく聞く話である。
 吾輩は邦人は世界においてまれに見る温和の市民なりと思うている。朝鮮人の富の壟断においても、朝鮮人の駆使においても、おそらくさまで酷烈ではなかろうかと思う。しかしながら、征服民族と被征服民族との間には自然に不平等の成り立つは争われない事実である。ただ長いものには巻かれろで、朝鮮人はやむなく屈従を装うも、心の中では、「今にも見よ」と叫びつつ隠忍しつつあるの状、想像して得て余りある。
 これを要するに、朝鮮人の暴動の根底は極めて深固であり、その意義はきわめて重大である。朝鮮人は自治を得るまでは、今回を手始めに機会あるごとに、暴動その他あらゆる方法において、絶えず反抗運動を起こすものと覚悟せねばならぬ。その結果時にあるいは、いかに悲惨なる大犠牲を払うことの起こらぬとも限らない。もし朝鮮人のこの反抗を緩和し、無用の犠牲を回避する道あるとすれば、つまりは朝鮮人を自治の民族たらしむほかにない。
 しかるに朝鮮人の暴動を見て、朝鮮人元気なし、腰抜けなり、いうて、朝鮮人の暴動を軽侮、はた朝鮮人の日本婦人凌辱を、朝鮮人の復讐と解せずして、単なる悪習と見去る如きは、何という無反省のことだろうか。はたまた、朝鮮人の生活(生活の根本義は自治)を奪いいることに気がつかぬか。かくの如き理解の下には、断じてなんら善後策もあり得る訳がない。
石橋 湛山1919(大正)8年5月15日号(東洋経済新報 社説)                     「石橋 湛山評論集」 

2016年6月27日月曜日

他人に使われる手下

  辛亥革命(1911年)の後は、意気込みさらにものすごく、天下に難事なし、最善最美の世界も誰もが提唱し出しさえすれば立ちどころに実現できるものと私は考えた。種族の革命など、何でもないことである。もし無政府・無家庭・無財産の世界に到達できれば、その時こそ我々の革命の任務は終わるのだ。私はこういう最高の理想に酔うていたので、そのころ社会党をおこす人があるとすぐに参加した。そのから一年半の間、私はもっとも熱心な党員であった。しばしば党務を処理するために、夜遅くまで寝ずにいたこともあった。
   多くの親戚や先輩が、「これらの人たちはごろつきである。お前はどうしてわざわざ彼らのの仲間になるのだ。お前のなすべきことではないのに。」と忠告してくれた。このような功利的な見解は、ずっと前から私の承服できないものであった。ごろつきと紳士とは悪制度が区別した二つの階級にほかならないと思い込み、紳士たちがいろいろと革新運動のじゃまをするのが実にいとわしく、この階級を根こそぎするのではなければ気持ちがすっきりしないと思っていた。
  しかし入党して相当の時間がたつと、それらの党の同志たちが、次第にぶざなものに見えてきた。彼らには主義がない。会を開いて演説をやる時にはもちろん悲壮を極める。しかし会が終わるとその情熱はうやむやの世界へ消えてしまう。彼らの言う話は、いつもでたっても二、三のおきまりの文句で、口で言う主義を実際に研究しようとは誰も考えない。ひまな時は、永いテーブルを囲んで世間話や冗談を言っているばかりで、女遊びをする。私は極めて情熱敵な人間であり、同時に世間馴れない物であったから、彼らに向かってしばしば説教もし、注文もした。しかし一向に誰も聞き入れてくれない。私はこの仕事に関して極めて徹底した目標を持っていたけれども、私の学識が非常に浅薄で、主義を発揚することなどは全く思いもよらないことを、自分でよく知っていた。しかるに党の内部では、私の博学な文豪扱いにしてしまって、発表する文章がある時にはいつも私を引張出して筆をとらせるのである。
 このすべてが思いのままにならない境遇にいるうちに、一つのことが私にははっきりとわかった。この人たちは他人に使われて手下になることがやっとのことで、主義を抱いてそれをおのれの生命の如くにみなし、事業の順序を計画して進行させたりすることはできないのである。前にはまったく彼らを買いかぶりすぎた。私は、自分が他人の手下になることを欲しないからには、他人を自分の手下にすることもあり得ないことをよく知っていた。それならば、いつでも党にいてごだごたと日を過ごしてみても何の益もない。私は脱党した。
 しかしこの一年半の時間をでたらめに失った代わりに結局において世間と自分の才分とに対する認識を持つことになったのはありがたいことである。これから後、いかなる党や会にも二度と軽々しく加入することをしなかった。しかしこれは政治と社会の改革への希望を棄てたのでは決してない。私自身はこの方面に発揮すべき能力を持たない人間であることを知ったのである。私がこの方面の才能を持たなくとも恥じずべきこととは思わない。何となれば、私には、本来、自分にできる仕事がある。そして、元来、ひとりの人間がいろいろの事柄をみなわきまえなければならないものではないから。

顧 頡剛  「古史辨自序 ある歴史家の生い立ち」

2016年6月26日日曜日

兵隊募集の本望

   兵備を設けるにはまず歩兵隊を編制するのが第一である。而してその兵員は領分から農民を集めるのが一番良い趣向である。しかしこれを集めるに至っては、深く注意をしなければならない。地方役人などがただ役向き一つ通りで募集したくらいでは、なかなか立派な兵隊を選ぶことができない。
 それには京都からの適任の人にこの募集方を命じられて領土内へ派遣する。一般の領民を各所に招集して能く今日の時勢を説き含める。募集の趣旨を会得させて、この応募は全く領民の義務であると、自ら進んで出るようにせねばならない。その御用を不肖ながら何卒私へ仰せつかるように願いたい。いかにも粉骨砕身して必ず相応の人を連れて来て兵備のお設けが速やかに立ち、各藩を凌駕するような立派な兵隊のできまするように致しますと不遠慮に言上した。
 もっとも自分の考えでは自分も田舎の農民から駆け出すほどの事だから、少し誘導したならば続々望む人があろうと見込みをつけてていた。さらに言葉をていねいに反復説愉した。一体、各々の量見では今日の時勢を何と心得ているか。世の中はいつまでも波風たたぬ太平無事ではないぞ、今にも戦がどこから始まる。己れは昔から百姓であると安心してはいられぬ。それゆえ血気壮な手前どもは今のうちに奉公を願ってご領主のためには働いたら、器量次第では立身功名のできる世の中である。土臭い百姓で生涯を終わらんよりは、一番奮発してでるがよい。深切に話したり、また厳格に諭したり、手を代え品を代えて感動するように色々と工夫凝らした。
 おれはこれまで一橋の家来のようん普通一般の食録を貪って無事に休んでいる役人とは大きな間違いである。事と品によっては荘屋の十人や十五人を斬り殺す事は何とも思わぬから、各方においても余りぐずぐずするとそのままには決して差置かれぬ。今の時勢を何と思うているのか。代官であろうが荘屋であろうが毛頭容赦はしない。成敗とともにこの一身を以って当る所存でいる。
 その後追々募集の人数が各地から集まって来着するから、それを訓練するために、軍制局において種々の評議をする。その大隊長は洋式の兵制を一通り心得ているが、指揮役などに乏しきゆえ、かれこれと人繰りをして、いささかの兵制の組み立てができた。

渋沢 栄一自伝「雨夜譚(あまよがたり)」

2016年6月25日土曜日

日本固有の戦争運命

 歴史の曙光と共に大和民族は、戦に勇猛に、平和の文芸に温雅に、天孫降臨とインド神話の伝説を吹きこまれている民族として現れている。神道として知られているその宗教は祖先崇拝の儀式であった。すなわち太陽神を中心として霊山高天の原に存す諸々の神のお引きに預かった祖先の霊を敬ひ祭る事であった。
 日本の如何ともなし難い固有の運命、すなわち日本の地理的位置が、支那の一地方あるいはインドの植民地として知的任務を日本に提供したように思われるであろう。ただし我が国が民族的誇りと有機的統一体という盤石は、アジア文明の二大極地より打寄する強大な波々を物ともせずに千古ゆるぎなきものである。
 国民精神は未だかつて打倒せられたることなく、模倣が自由な創作力に取って代わったことも決してなかったのである。我々の被った影響がいかに強大なものであっても、常にこれを受け入れて再び適用するに十分有り余るほどの精気を備えていた。
 アジア大陸の日本への接触が常に新生活と捜索の関与に利する所があった。アジア大陸の栄誉である、天孫民族が他から征服を受けないでいる。単にある政治上の意味からのみあらず、更に一層深遠なる意味で、生活、思想、芸術における生きた「自由」の精神として、天孫民族の最も神聖なる光栄である。
 勇ましき神功皇后が御心を燃え立せ給うて、大陸帝国を物ともせず、朝鮮の属国を保護せんために雄々しく海を渡らせられたのは実にこの御自覚のためであった。隋朝の煬帝(隋第二代の皇帝(在位605-616))を「日没する国の天子」と呼んだので、驚嘆せしめたのもこの精神であった(邪馬台国は魏志倭人伝で日の出る国と称した)。
 元王朝の蒙古がウラル山脈を超えてモスクワに達することになっていた勝利と征服の絶頂にったゆるがせ必列の傲岸な脅威を無視したのもこの精神であった。日本が今日更に一層深い自尊心を取得する必要のある諸種の新問題に雄々しく直面して立っている。正に同じ勇猛なる精神に依るものである事を決して忘れないことが日本自らの為である。

岡倉 覚三 「東方の理想」

 

2016年6月24日金曜日

ローマ帝国の没落と軍隊

  ローマ帝国は共和国として繁栄と拡大を謳歌した。しかし、権力内部の自己抑制が崩れ、健全な分裂状態に終止符が打たれ、一方が他方を圧倒し勝利するような状態が生まれたことが没落の原因となる。社会全体が静穏になっているのが認められるような場合は、いつでも自由がもはやなくなっていると見て間違いがない。
 ローマ人は、戦争すべく運命づけられ、また戦争を唯一の手段とみていたので、自分達の精神と思想のすべてをこの技術の完成のために傾注した。ローマ人に軍団の構想を吹き込んだのは、疑いもなく、神である。ローマ人は、軍団の兵士たちに、攻守ともに適し、当時のどんな民族のよりも強力で、ローマ兵は荷を積んだ馬と変りなく重い武器を与えなければならないと判断した。軍団には騎兵、弓兵、投石兵も置き、敗走する敵を追撃して、勝利を達成するように計った。さらに、軍団には、携行できるあらゆる戦争用具を使って防戦して、それ自体が一種の要塞となることを望んだ。
 もっと重い武器を行使できるように、軍団は人間以上ものにしなければならなかった。このため軍団は不断の労働によって体力を増強させた。自分のもつ力の正しい配分を身につけた。
 軍隊が兵士たちの土掘り作業などの過重な労働のために多くの力を失っている。労苦はいつも続いて、極端な労働と極端な怠惰を絶えず繰り返し、我が身を滅ぼすのに適した。ローマ兵は、重荷を背負って軍隊歩調で行進するよう絶えず訓練された。
 軍隊はもはや肉体鍛錬の正しい観念をもっていない。肉体鍛錬に余りに時間をかけすぎている人間は軽蔑に値する。鍛錬の大部分が娯楽以外の目的をもたなくなる。戦争をあれこれと工夫するのは馬鹿げたとされ、喧嘩好きか臆病者だとみなされた。
 ローマ人が危険に直面したり、損失を償おうと欲した時は、いつも軍事規律を強化することが不変の方法であった。命令権を強化するためには身内まで処刑した。軍隊に旧来の制度を復活させると、直ちに恥辱も与えた。軍隊の兵士を極めて厳しく訓練することで、兵士の方から、苦痛を終わらせるために、戦闘に行かせて欲しいと頼み込ませた。なんらかの過ちを犯した兵士を衰弱させ血をとった。卑しい部族に属した兵士の脱走は頻繁に起こった。戦闘では、兵士は大集団の中にいなければ安心できないので、軍隊が不意に現れると、市民たちは血の凍る思いをした。最後に、兵士達にとって戦争は省察であり、平和は訓練であった。


 シャルルド・モンテスキュー ローマ人盛衰原因論

2016年6月23日木曜日

自尊自大の尊王攘夷の明治政府

   いよいよ王政維新と定まって、政府の命に応じて親友は江戸から出る。私は一も二もなく病気で出られませぬと断わり。御用召でたびたび呼びに来ましたけれど、私は始終断るばかり。その親友が是非出ろと言って勧めて来たから、私は以下のように答えた。
「出処進退は銘々の好む通りにするのが良いではないか。世間一般はそうありたいものではないか。これに異論はなかろう。そこで僕の目から見ると、君が江戸から出たのは君の平生好むところを実行している。僕ははなはだ賛成するけれども、僕の身にはそれは嫌いだ。私は嫌いであるから江戸から出ない。これまた自分の好むところを実行するのだから、君の江戸から出ているのと同じ趣旨ではないか。されば僕は君の進路を賛成している。君もまた僕の進路を賛成して、福沢はよく引っ込んでいる。うまいと言ってほめてこそくれそうなものだ。それを誉めもせずに呼び出しに来るとは友達甲斐がないじゃないか。」と大いに論じて、親友の間であるから遠慮会釈もなく刎ねつけた。
 まだ文部省がない時に別の親友は「政府の学校の世話をしろ、どうしても政府においてただ捨てて置く理屈はないのだから、政府から君が国家に尽くした功労を誉めるようにしなければならない。」と親友が言うも、私は自分の説を主張して「誉めるのと誉められるのと全体そりゃ何のことだ。人間が人間当たり前の仕事をしているのに、何も不思議はない。車屋は車を引き、豆腐屋は豆腐をつくりて、書生は書を読むというのは人間当たり前の仕事をしているのだ。その仕事をして政府が誉めるというなら、まず隣の豆腐屋から誉めてもらわねばならぬ。そんなことは一切よしなさい。」と言って私は断った事がある。
 このような調子で私はひどく政府を嫌うようにある。その真実の大本を言えば、前に申した通り、どうしても今度の明治政府は古風一点張りの攘夷政府と思い込でしまった。攘夷は私の何よりも嫌いことである。こんな始末ではたとい政府が変わっても、とても国はもたない。大切な日本国を滅茶苦茶にしてしまうだろう。こんな古臭い攘夷政府を造って馬鹿なことを働いている諸藩のわからず屋は、国を滅ぼしかねない奴らと思う。私の身は政府に近づかないように、ただ日本に居て近づかずに、ただ日本にいて何か勉めてみようと安心決定した。
 私が明治政府を攘夷政府と思ったのは、決して空に信じたのではない、おのずから憂うべき証拠がある。王政維新になり、イギリスの王子が東京城に参内して接待することは固より故障はない。夷狄の奴は不浄の者で、お祓で清めて内に入れた。日本は真実自尊自大の一小鎖国にて、外人を畜生同様に取り扱うのが常である。日本人の眼をもって見れば王子も不浄の畜生たるに過ぎない。私はこれを聞いて、実に苦々しい事で、泣きたく思いました。 

福沢諭吉の自伝

2016年6月22日水曜日

戦争により奴隷

   他の人々に比べて、肉体が魂に、動物が人間に劣るのと同じほど劣る人々は、誰でも皆自然によって奴隷であって、その人々にとっては、劣れるものにも支配されることの方が善いことなら、その支配を受けることの方が善いことなのである。なぜなら他人のものであることのできる人間、すなわち道理をもっていないが、それを理解するくらいには関与している人間は自然によつて奴隷だからである。他の動物どもは道理を理解して従うことはなく、本能に仕えているからである。実は奴隷と動物の間に有用では大した相違は存在しない。生活必需品のために肉体をもって貢献することが両者の能力だからである。
 自然は肉体をも自由人と奴隷では異なった者として、奴隷は生活に必要な仕事に適する丈夫であり、自由人は真っ直ぐで労働には役に立たないが、国民としての戦争と平和に関する仕事には有用な生活を作る意向をもっている。逆にある奴隷は自由人の肉体をもち、魂をさえもつこともある。ただ肉体に関してだけでも、神の像と人間の姿との相違と同じ程度の相違が人々にあるなら、疑いもなくすべての人は、劣れる者が優れた者に奴隷として仕えるのは当然だろう。肉体の場合に真実であるなら、精神の場合に同じ規則を適用するのは、はるかに正当なことである。自然によって人々は自由人であり、ある人々は奴隷であることが有益なことであり、正しいことは明らかである。
 自然とよって奴隷、法によって奴隷、奴隷として仕えている奴隷もある。戦争中に征服された者は、征服者の者であると規定する法律が一種の約束として存在する。徳は必要な外的手段を手に入れば、力による征服を最もよくなし得る。力によって征服者にある者は善を常に非征服者よりも余計にもっている。力は徳なくして存じえないので奴隷にする事を正当化する。征服者と非征服者の相互間の好意が正当化する事になり、人々には力の優れた者の支配が無条件に正しいと思うからである。
 戦争はその起こりが正しくないこともあり、奴隷に適さないものが奴隷である事を承認はしない。捕われても自分自身を奴隷と呼ばれる事を好まず、自然によっての奴隷以外のものではない。人間からは人間、動物からは動物が生まれるように、善き親からは善き子供が生まれるのが当然である意向を自然は持っている。ある者は支配され、ある者は支配する、悪しく支配することは両者に不利益をもたらす。

アリストテレスの政治学

2016年6月21日火曜日

非暴力非服従の聖書

   真理は存在さらに実在を意味するが、物の本質を究明すれば、世の中に存在するのはただ真理だけである。すなわち「神は真理である。」というよりも「真理が神である。」のが一層正しい。真理が性格で完全で唯一のものである。我々が肉体の虜である限り真理の実現は不可能である。思考によって永遠の生命のある真理を体得することもできない。そこで結局は信仰に頼るようになる。
 多くの人々が神の名に心を奪われたこと、及び神の援助を求めて筆にしがたい暴挙をあえてしたことである。注意すべきは、唯一の神のみが存在し、その他何物も存在しないこと明らかにすることである。「真理が神」であり神たる真理を見出すために、避けることができないのは暴力否定である。完全なる暴力の否定は生命あるものに対して、全然悪意を持たない事である。暴力の背後には過激なる意図をもち、独断に敵へ悪をなす希望である。
 暴力否定は悪に対して現実の闘争を止めるだけでは成立しない。悪に対抗して結局これを拡大するような復讐よりも、一層積極かつ現実なる暴力否定か必要である。不道徳と戦うため、精神的すなわち道徳的抵抗をする。尖鋭なる刀剣で暴者と衝突するのではなく、相手の物的抵抗の期待を誤らせて、暴者の剣を完全に鈍らせるのである。
 自己に困難を与える人々を広い心で許すべきか、あるいはこれらを打倒すべきか。結局は闘争に執着する人々は永遠の生命のある真理に向かって少しも進めない。これに反して自己に困難を与える人々を広い心で許せば、目的に近づき、指導することにも至る。試みた闘争で求める真理は外部には存在しない。反って真理は自己の内部にある。外部に求めた敵に闘争する間は、内部の敵を忘れるから、暴力に訴えるのでいよいよ真理と遠ざかるのである。
 我々は盗賊に苦しめられるから、盗賊に制裁を加える。盗賊が遠ざかったとすれば、我々が他の人を襲っているからである。一方盗賊は盗みを職業であると考えるから盗難はますます増加する。結局は盗賊に制裁を加えるよりも、広い心で許すのが良いこと気づく。盗賊もまた我々と異ならない人々であり、市民でり、友人でもあり、制裁をしてはならない。盗賊を広い心で許しても、悪には忍従してはならず、卑怯に悪い状態に陥ってはならない。
 欲望が生命のための肉体を創造するのは正当である。欲望がなくなれば、もはや肉体の必要はなく、生死の迷路から解放される。なんの必要があって籠にも比すべき肉体内に欲望を幽閉し、籠を愛するために悪事を働き、また殺人をもあえてするのだろうか。純粋なる真理の見地よりすれば、肉体もまた一つの独占物である。
 負債を精算して重荷を下ろし、義務を果たして自己に奉仕する。自分の力を人類一般に提供するように要請される。単に善人に対してのみならず、我々全部に対する要望である。このような原則を遵守すれば、執着から離れる境地に入り、利己追求の欲望から離れることができる。これが人間と禽獣とか異なる点である。

マハトマ・ガンジー




 

2016年6月20日月曜日

最暗黒の下層社会

   生活は一大疑問なり、尊きし王公より下乞食に至るまで、いかにして金銭を得、いかにして食をもとめ、いかにして楽しみ、いかにして悲しみ、楽は如何、苦は如何、何によったか希望、何によってか絶望。
 利益は上に壟断されて下層に金銭の流液するなく、すでに絶対してまさに絶命に陥らんとす。彼らには予防する策はなく、思想知識はなく、高尚なる議論はなく、元より社会的思想はなく、世事のことよりも、まず生計に忙しく、未来の進歩あるいは退却するのも別に心痛できない。
 戦争においては炊き出し方となり、軍旅においては運送方となり、いかなる場合においても、身を働かすのほかに向かって希望をいだかず、常に人生生活の下段を働く所の彼らの覚悟はいかに。蒼々たる故郷の山岳、穣々たる田間の沃野を最後の楽園として思うほかには何も見ざる生涯。
 ああ恐るべかな経済の原理、つばさなくして飛び、足なくして探り、ついにこの暗黒界に潜り込み、その残飯たる乞食めしの間を周旋するに至らんとは。
「はあ、つまらねえつまらねえ、世の中はもう飽きたちゅうに不思議はあるめえ。もう苦労をする物あねえぜ、苦労したちて一人前食らうほど稼げねえだ。店賃はがみがみ言われる、内の者には面倒がられる。
 車屋じゃ善顔して貸さない、こりゃもう首でも縊れよう。野郎め、屋根代ガミガミ言って見ろい。てめえの軒下へつっしゃがんで、ふくどし括りつけてやるぞ。車屋の因業ばばめ、もしおれの車を没収でもしやがると台所からはいしゃがんでくたばってやるぞ。べらぼうめ、六十八おやじ知らねえか。」
【翌年頃の1994(明治27)年から日清戦争が勃発して近代戦争に突入する。】

松原 岩五郎

2016年6月19日日曜日

戦争の歴史とは何ぞや

 歴史的知識と表現法は、1.物語的歴史 2.教訓的歴史 3.発生的歴史の三段階的に発展する。常に歴史の進行につれて知識は分化し、歴史が古くなるほど変化もますます著しい。
 1.物語的歴史 歴史的素材を時と場所の順序で物語り満足する。素材は様々な方向に向かい種々の再現の形式が生まれる。政治、宗教、祭祀の目的のため、ある素材を確保し安全に後世に伝えようとする。民族が異なれば、歴史観や素材の再現は著しく相違する。意識して偽作的捏造される。
 2. 教訓的歴史 過去の類似な歴史に明確な観念を与える。人間の本性と行為とは類似しているとして、政治の形成に対して教訓を与える。その教訓には道徳的、政治的、ことに愛国的傾向をとりやすい。一切を個人の衝動から解釈するで、偶然かつ不要な動機を加重するに至る明白な大欠点がある。
 3. 発生的歴史 歴史の作用が相互関連して、歴史現象や時代の生成や作用を認識する。歴史の発生産物として把握するためには、精神文化総体が高度になるまで発展する必要がある。歴史は継続的に変化している。歴史の関係や活動は、因果関係と相互作用に寄るために、多くの時代錯誤が生まれる。
 
 歴史の直接の観察が、認識の素材を唯一に与え、当時の歴史事象の目撃や直接の見聞の限られた範囲だけである。歴史と離れられないのは、体験した事象の思い出(Erinnerung)である。思い出の真実は、素質・年齢・体性にも素材の理解や関心、観察力に依存する。視界を離れ久しいと、思い出はかすかとなり、歪曲も付け加わる。
 歴史は素材を実に一度だけ直接の観察を受け入れる特性がある。各事象が演じ終われば知覚から消え去るやいなや、記憶の影像のみが心に残る。いかに直接の観覧や思い出も、写真や写音(Phonographie)のような忠実さで事件を再現できない。先入観や暗示は、関心、注意、知覚にさえ偏見で定め、盲目的に妄想誤解するに至る。時代全体の気分や党派心にも至る。

エルンスト・ベルンハイム

2016年6月18日土曜日

特攻カタカナ検閲済み遺書

正憲、紀代子へ
父は姿がこそ見えざるも何時でもお前たちを見ている。
良くお母さんの言いつけを守って、お母さんに心配をかけないようにしなさい。
そして大きくなったなれば、自分の好きな道に進み、立派な日本人になることです。
人のお父さんを羨んではいけませんよ。
「正憲」「紀代子」のお父さんは神様になって、二人をじっと見ています。
二人仲良く勉強をして、お母さんの仕事を手伝ってください。
お父さんは「正憲」「紀代子」のお父さまにはなれませんけれど、
二人仲良くしなさいよ。
お父さんは大きな重爆に乗って、敵を全部やっつけた元気な人です。
お父さんに負けない人になって、お父さんの敵を打ってください。
父より
正憲
   紀代子へ
二恵


正憲 紀代子へ
父ハスガタカタチハミエザルモイツデ
モオマエタチヲ見テイル.ヨクオ
カアサンノイヒツケヲマモッテ
オカアサンニシンパイヲカケナイ
ヨウニシナサイ.ソシテオオキク
ナツタナレバ ヂブンノスキナミチニ
ス 、ミリッパナニホンヂンニホンヂンニナルコト
デス.ヒトノオトウサンヲウラヤン
デハイケマセンヨ.「マサノリ」「キヨコ」
ノオトウサンハカミサマニナッテ
フタリヲ ヂット見テヰマス.
フタリナカヨクベンキョウヲシテ
オカアサンノシゴトヲテツダナ
サイ、オトウサンハ「マサノリ.」「キヨコ」
ノオトウサマニハナレマセンケレドモフタ
リナカヨク シナサイヨ. オトウサン
ハオホキナヂュウバクニノッテテ
キヲゼンブ、ヤッケタ、ゲンキナ
ヒトデス  オトウサンニマケナイヒト
ニナッテオトウサンノカタキヲウ
ッテクダサイ.
父ヨリ
マサノリ
フタエへ
キヨコ

【1945(昭和20)年5月25日特別攻撃隊爆死 国吉 秀俊  遺書】

2016年6月17日金曜日

人間不平等等と戦争

   自然の不平等が組み合せによる不公平等ともに知らずしらずの間に発展し、状況の相違によって発展した人々の間の相違は、その成果の点で一層に著しくなり、同じ割合で個々の人間の運命に影響した。自尊心は利害に目覚め、理性は活発になり、精神は可能な限りの完成の局地に達しようとする。それらの素質は人々の尊敬を引き寄せる事が可能となるので、自分の利益のためには、それが存在するか、存在するふりをする事が必要になる。
 この区別のため、いかめしい威厳と欺瞞的な策略、お共をうけるあらゆる悪徳が出てくる。無数の新しい欲求のために、同胞に屈従するようになり、同胞の主人になりながら、その奴隷となっている。支配と屈従、あるいは暴力と略奪が生まれた。富める者は、支配する快楽を知ると、新しい奴隷を服従させるために古い奴隷を使い、隣人たちを征服し、隷属することしか考えなくなる。
 強い者、弱い者が、力または欲求を、他人の財産に対する一種の所有権とするので、その均衡が破られると続いてもっとも恐ろしい無秩序が到来する。富める者の横領と貧しい者の略奪と、万人の淫らな情念が、人々を強欲に、野心家に、邪悪にした。
 強者の権利と最初の所有者の権利の間に、はてしない紛争が起こる。それは闘争と殺害とによって終息するほかなくなる。社会はこの上もなく恐ろしい戦争状態になる。堕落し、悲嘆にくれる人類は、もはやもと来た道に引き帰すこともできず、不幸にして自ら獲得したものを捨てることもできず、自分の名誉となる諸能力を濫用することによって、自ら滅亡の前夜に臨む。
 悲惨な状態について、富者は自分たちだけがその一切の費用を負担する恒久的な戦争が不利益であるとすぐに感じる。戦争では、生命の危険があるだけでなく、財産の危険は個人的である。富者の横領は、単に一時的で不当な権利が盾なので、略奪されても文句をいう理由をもたない。そのため富者は、すべてを相互に対抗して武装させ、所有以上の負担の大きい状況、安全を見出せない恐怖を与える。その弊害を富者は予感してもそれを利用とする。利益を感じれても、その危険を見通す事ができない。若干の野心家が利益のために、以後の人類を労働と隷属と貧困に服従させたのである。

ジャン・ジャック・ルソー

2016年6月16日木曜日

貧乏が戦争の問題

   経済の下における利己心の作用をもって、経済社会進歩の根本動力と見なす。経済上における個々人の利己心の最も自由なる活動をもって、社会公共の最大福利を増進する最善の手段となす。しかるに、元来人は教えずして自己の利益を追求する性能を有する者である。この派の思想に従えば、自由放任はすなわち政治の最大の秘訣である。
  個人ををしてほしいままに各自の利益を追求せしめておけば、これにより期せずして社会全体の福利を増進しうる。それが経済の最も巧妙なるゆえんである。すなわち経済を謳歌し、その組織の下における利己心の妙用を嘆美する。自由放任ないし個人主義をもって政治の原則とすることが、いわゆる経済の趣旨とする。
 経済の下において、国家の保護干渉を是認し、利己心の自由なる発動になんらかの制御を加えんとするかの国家主義、社会政策のごときは、いずれも皆異端である。個人主義者は、幾百万の人々が種々雑多の欲望をもって目覚めると説く。いかに偉い経営者が出て、あらかじめに計画を立てたとて、数百万の人々の種々雑多の欲望を、規則正しく満たして行くことは、到底企て及べない事である。個人主義者は経済を謳歌するのであるが、今の世の中は、金ある者にとってはまことに重宝な世界である。
 よけい金をもっている者は、広い世間に数限りなくいるが、その人々は他人のためには一挙手一投足の労を費やすことなくても、争いてよけい金を持っている者に対して、さらに人々は多くの親切をしている。金のある人は、その世の中ほど都合よくできているものはない。命令するでもなく計画したでもないのに、世界中の人が一生懸命になって他人のために働く、人知でも不思議に巧妙をきわめている。
 しかし、気の毒なのは金のない市民である。一文もなくなったら、市民は追い出されて、この広い世界に枕も置くべき所もない。世の中は便利しごくのしくみはないが、しかし金ののない者にとっては、不便しごくのしくみはない。
 今日多数人に経済が届かないのは、経済という大切な事業が私人の金儲けの仕事に一任されている。一国の軍備でも教育でも、私人の金儲けの仕事に任せれば、到底その目的を達せられない。それで各種の方面に遺憾な事が絶えないのである。
河上 肇

2016年6月15日水曜日

国家の戦争と平和

  実に人間にしても自然状態においてはお互いに敵である。だから国家の外にあって自然権を保持するものは皆敵たるを失わない。ゆえにもし国家が戦争をして自己の権利の非常手段を用いようと欲する場合、それをなす権利を有する。戦争を行うにはただ戦争の意欲を持ちさえすれば十分だからである。
 これに反して、平和に関しては、国家の意思が平和に合致していなければ何事も決められない。戦争の権利は国家に属するが、平和に関する権利は一国家にではなくて少なくとも二国家に属することである。これらの国家は盟約国と呼ばれる。
 平和の盟約は、盟約を締結する原因すなわち損害への恐怖や利得の希望が存在する間は確固として存続する。それがなくなれば、再び相互に結合していた靭帯は溶ける。任意の時に盟約を解消する全ての権利を有する。平和の存続を前提として未来に向かって契約を結ぶ。だから国家が欺かれたと訴える場合、責めうるのは盟約国家の不信義ではなく、ただ自己の愚かさだけである。
 相互に平和条約を締結した国家は、平和の諸条件や諸規約に関して、係争問題を解決する権利が帰属する。平和の権利は、国家の所有ではなくて、盟約国家共同の所有である。問題に関して国家が意見の一致を見ることができなければ戦争状態に立ち返る。
 相互に平和条約が多ければ多いだけ、国家は戦争をなす力が少なくなり、平和の諸条件を守るように拘束されることが多くなる。国家は自己の権利が少なくなり、盟約国家の共同の意志に順応するように拘束される。

バールーフ・デ・スピノザ

2016年6月14日火曜日

原爆の子

   息詰まるような空襲警報が朝になるとともに解除されて、ほっと一息ついたのだから、あの時の爆音が聞えようはずなかった。それこそB29にとっては、絶好のチャンスに違いなかった。おまけに広島の空は快晴で、原爆第一号にとっては絶好の日和で、まったく願ってもない好条件だったらしい。そして8時15分。
 広島市は炎上の真っ最中で、7つの清流には見るも無惨な老若男女の死体が流れていたのである。家族を燃え上がる中に残したまま、隣近所の崩れた家の下から助けを呼ぶ声から去って、どうすることもできない悲しさを今なお胸の中に焼きついて永遠に消え去ることはない。一夜燃えつづけた広島はやがて死の街になり、その後は地獄であった。
 鉄骨だけ残っている電車の中には、白骨がずらりとならび、もがいた人々の足がはみ出したま白骨化していた。学徒動員の男女の中等生たちは、まだかすかに残っている命の燈火を燃やして、家族らの名前をか細い声で呼びつづていた。原爆の放射能のため焼きただれた身体を冷やそうとして川の中に入り、そのまま没していった。
 幾日か広島の雲には死体を焼く煙がただよっていた。川べりの土手の上から昇って、煙を方針したようにながめていた。とめどもなくこほれ落ちる涙は、焼けはてた広島の大地にしみこんでいった。
 かろうじて生き残った人々には、原爆症の恐怖がおそってきた。放射能は、実は無傷に見えた人々の骨髄までも深くしみこんでいた。髪は抜け落ち、歯ぐきからは出血し、やがては体中に紫色の斑点が生じると、ばたばたと倒れていった。
 猫もしゃくしも民主主義と自由と同じように平和も唱えられた時代がにあった。日本が迎えたような平和が、果たして真の平和と言えるものであったか。世界でいけなかったら広島だけでよい。果たして広島に真の平和が訪れたのか。
 原爆30万人の犠牲を売りものにした平和記念年は単なる観光都市であってよいのか。ケロイド性症状のいたわしい人間は、見世物小屋の見世物であってようのか。元安川の川べりの産業奨励会館であった原爆ドームを訪れる旅人よ。あれは見世物ではないですよ。
 我々は厳粛に、そして敬虔に8月6日を迎えよう。原爆の犠牲者に、広島から真の平和を築くことを誓いつつ、祈りをささげよう。売りもの、見せしもの原爆広島ではなく、今こそ真実の平和広島を築いていこう。その時にはじめて、広島は原爆と平和のメッカとしての第一歩を踏み出すであろう。

広島の少年少女のうったえ

2016年6月13日月曜日

怒りと平和

   怒りが自然に合ったものかどうかは、人間を見れば明らかであろう。人間が正しい精神状態にあるときほど平和なことがあるだろうか。しかし、怒りほど無情なものがあろうか。人間ほど他人に愛情をもったものがあったろうか。怒りほど敵意のもったものがあろうか。
 人間は相互扶助のために生まれたが、怒りは相互破壊のために生まれた。相互扶助は結合を望むが、怒りは離反を望む。相互扶助は利することを望むが、怒りは害することを望む。相互扶助は見知らぬ人々をも助けようとするが、怒りは最愛の者たちをも襲おうとする。相互扶助は他人の利益のために自分を消耗させようとさえしているが、怒りは他人を追い出すことができるなら、危険をもおかそうとしている。
 それゆえ、この野蛮で有害な悪徳の原因を、最良で完全な自然の働きに帰する者ほど、自然の本姓を知らない者があろうか。怒りは、依然として、報復に熱心であって、そのような欲望の存在するどころか、最も平和な人間の胸のなかであるとは、人間の自然の本姓に最もそぐわないことである。人間生活は善行と協調のうえに成り立っており、脅迫によってではなく、相互愛によって、睦み合い助け合うために結び付けられているからである。

  怒りはしばしば同情心によって静められるものである。というのは、怒りは本当の力強さをもっているわけではなく、中身はからに膨れあがったものである。激しいのは初めだけだからである。怒りはものすごい勢いで始まるが、やがてはまもなく疲れて弱まる。そして、初めは残虐な仕打ちや新奇な処罰の仕方を思いめぐらしていたものの、いざ処罰をする段になると、すでに腰が碎けて、おとなしくなっている。激情は急速に衰え、理性が怒りに釣り合うようになる。
  怒りは全く移の気である。限度を越えてはるか遠くに突っ走るかと思うと、当然に行くべきところので行かないうちに止まってしまう。怒りは自分勝手のことしか考えず、気まぐれに判断し、何ごとも聞こうとはせずに、弁護の余地を認めず、襲いかかったものは離さず、たとえ自分の意見が間違っていても捨て去ろうとはしない。

ルキウス・アンナエウス・セネカ

2016年6月12日日曜日

暗黒日記

   何人の頭の中にも、現下の最大の問題点が陸海軍の統合融和にあり、そこにはまず省改変のメスが下されるはずたと考えているのに、一言もこれに言及するものはない。
 問題がなくなると「統制強化」「宣伝機関の一元化の必要性」「発注の徹底的一元化」といった具合に一元化を説いている。「一元化、一元化で戦争終わりにけり」
 日本は何をめがけて大きくなったろう? 戦争そのものだというのは明らかに嘘だ。戦争をやると何かが達成すると考えるから戦うのだ。征服欲というのも不完全だ。征服して何を求めるのか。やはり、日本的なものを世界の布こうという考えと、それからそれにより自己が利益とようとの二つだろう。日本人は干渉好きだ。しかし何か行動によってこれをなすことはしない。例えば昨日、電車の中で網の上に鞄を載せようとしたのを何人も手助けしない。日本人の干渉は思想的なものに対してだ。
 英米人は干渉嫌いだ。しかしそれは思想に対してであって、他が困っている場合にこれを助ける。町で考えこんでいると「何を探すんですか。」といって必ずヘルプしようとするのはその例だ。電車の中でも必ず助ける。とすれば干渉は同じだ。相違は「何をめがけて?」という点に帰する。それは習慣と傾向の相違といっていいだろう。
 二等車には必ず土木請負人のような野卑な連中が乗っている。第一次世界大戦の時にいわゆる成金が日本を一変させた。今度も同じである。資本主義の欠点は確かにそこにある。しかし社会主義化、共産主義化しても別の弊害がある。要は教養の向上のみ。
1943年10月
清沢 洌

2016年6月11日土曜日

ゲルマーニアの戦争と平和

   青年たちは、公事と私の事を問わず、なにごとも武将してでなければならない。武器を帯びることは、その民族(civitas)団体が資格あると認めるまでは、一般に青年にも許されない習いである。それが認められた時、同じ会議において、長老、あるいは父、または近縁のものが、武器とをもって青年を飾る。これらが青年服であり、青年に与えられる最初の名誉である。これまでは彼はただ家族集団の一部であった。今後は、民族(res publica)の正員として見なされる。
 貴族の身分、先祖のの偉功によって、少年たちに対しても、長老の主従が与えられる。青年らは、より長老の成人として、すでに世に認められている他の人々の周囲に集まる。家来の間の姿をあらわすことは、少しも恥辱とはならない。それどころか、家来の間には、家来をひきいる人の判断によって、そこに階級ができる。
 ここで激しいのは、長老の許の第一席は誰によって占められるかの長老たちの争い、最も多くのかつ最も精鋭な家来たちを得ているかの長老たちの競い合いである。選ばれた青年の大群によって常に囲まれることは、平和には誇りであり、戦場では防衛である。
 長老の権威であり、これが力である。家来の数と意気に優越を示す長老も、みずからの部族のみならず、近隣の諸邦にさえ、名誉と尊ばれ、光栄として仰がれる。長老は諸邦から来る使節来訪の名誉を受け、贈物に飾られ、単にその名声にて戦勝を左右すると思う。
 戦列についた以上、勇気にて家来に負けるのは長老の恥辱であり、長老の勇気に及ばないのは家来の恥辱である。長老の戦死をさしおき、家来が生を全うして戦列を退いたら、生涯の恥辱であり、不面目である。長老は勝利のために戦い、家来は長老のために戦う。
 もし母国が永い平和と無為のために英気を喪失していると、高い身分の青年の大部分は、みずから進んで、なんらかの戦争をを行っている部族を求めて出かける。
 平静をこの種族は喜ばず、功名は危機の間に立てやすい。多くの家来は力で戦いをしなければ保養できないからである。血潮したたるかの戦勝を勝ち取らんことを、家来たちは主人の寛大さに期待し、ゆたかな供養は家来に対する賞与となるからである。この寛大さの材料は、もっぱら戦争と略奪による。もし家来に地を耕し、年々の収穫を期待することを説くならば、家来に敵に挑んで、名誉の負傷を被ることを勧めるのは容易ではないとに悟る。血をもって光栄を受けるものを、あえて額の汗して収穫を獲得するのは怠惰でありち、無能であるとさえ、家来は考えているのである。

ゲルマーニア
コルネーウス・タキトゥス

2016年6月10日金曜日

ナポレオンの戦争論

軍隊とは服従する市民である。
あらゆる攻撃的戦争は侵略戦争である。
軍隊は好んで前進して侵略戦争が好きである。
ひとたび戦争と決めたら、勝つか滅びなければならない。
戦争の大きな失敗は、常に誰かが大罪とされる。
戦争を知るには永いこと戦争をする必要がある。
戦争では一人の人間こそがすべてある。
戦争は必要であれば最後の一兵まで投入する。
兵員を救ったり保持することは第二義的にすぎない。
兵隊を動かしている唯一のものは名誉である。
兵隊は退却する敵を追う場合は疲れを知らない。
避けられない戦争は常に正戦とする。
戦争は自然の状態である。
戦争のすべを知るには、服従するすべを知る。
勝利しても敗北しても軍隊は決して休息させない。
ほとんど常に臆病な策は最悪である。
下士官は、兵卒を服従させるだけでなく引きずって行く。
戦争の名誉から、敗戦に屈辱を感じる。
生命を大切にする者は、軍隊の一員ではない。
平和はいろいろな国の名誉ある利害に基礎をおくシステムである。
ボナパルト・ナポレオン

2016年6月9日木曜日

小さな 戦士達への子守歌

おやすみなさい
遠い地に 離れ離れに 眠る子よ
おやすみなさい
今夜も楽しい夢をみるように
お前のいないこの家は、カンテラのない 山小屋のようさ
帰っておいで 私のところに
戦いのベッドから解かれて
祈っているよ どうか朝まで 夢の世界に遊べるように
グッドナイト マイ リトル エンジェル
今宵は安らかに眠れ 朝までめざめることなく
おやすみなさい
遠い街の 白い館に眠る子よ
おやすみなさい
今夜も美しい夢を見るように
あなたのいないこの家は 燈なくして さまよう小舟よ
戦いのベッドを 放たれて
祈っているわ どうぞ朝まで夢の世界を たのしめるように
グッドナイト マイ リトル エンジェル
今宵は やすらかに眠れ
朝まで目覚めることなく

風になって伝えて
妙見 幸子

2016年6月8日水曜日

平和の訴え

     幾度も失望を味わったあげく、不幸な私は、いったいどこへ向かえばようのでしょうか。考えてみれば、君主たちは物知りというよりも力の人。正しい判断力というよりもむしろ野心によって導かれているのです。
 ですからほんの小指の先ぐらいの事でも、決して意見の一致を見ることがありません。この連中ときたら、まことに取るにたりない問題について、死にもの狂いの激論を繰り返しているのです。激論が白熱して誹謗中傷を変じて殴り合いとなるのですが、さすがに血を洗うまでは至らぬようですね。まさか、あいくちや槍をふるって黒白の決着をつけることはないまでも、毒を塗ったペンを互いに突き刺し合い、荒々しい言葉で議論のやりとりをし、めいめいが論的の面目を葬り去るような毒舌の矢を放ち合っている醜態です。
 なんどとなく、ただの言葉だけをむなしく便りにしては裏切られて棄て去られてきた私はいったいどこに足を向けたらよいのでしょう?

  悪辣極まりないことは、民衆の和合は自分達の権勢を揺るがし、民衆の不和はその権勢を安定させる、と感じている君主たちがいることです。彼らは、虎視たんたんと戦争を企んでいる連中を、極悪非道な手口でそそのかして、平和に結びき合っているものの仲を裂き、そして勝手気ままに掠めとろうとしているのです。平時には国家に対する極悪ひとでなしの偽政者といえましょう。

 戦争が問題となった時には、君主は若者たちを招いて諮問すべすべきではありません。若者たちは戦争がどんなにひどい災禍をもたらすかについて自ら体験がないため、戦争を愉しいものと思いがちですから。それにまた、公共の安寧秩序の混乱によって利益を得、民衆の不幸を食い物にして私腹を肥やす連中も斥けるなければなりません。慎重に偏見に捉われず、しかも確固とした祖国愛をいだいている年をとった人びとを呼んで、その意見を聞くべきでしょう。要するに君主であるほどの者は、あれこれ好戦的や輩の気まぐれにつられて、無謀な戦争を起こしてはなりません。と申しますのも、戦争は一たび始まってしまったならば、容易なことではおいそれと終わらないものだからです。

デンシデリウス・エラスムス

2016年6月7日火曜日

カチンの森の大虐殺

   歴史の中のポーランドは、天然の要塞のない平原に位置したため、ナチスドイツ側の敗北が明らかになって来ると、ポーランド人の独立運動や反乱が起こり、ついに共和国を宣言した。なじみ深いポーランド人の楽聖ショパンやラジウムを発見したキュリー夫人、ノーベル文学賞のシェンキュウィチがいた。
 ドイツとソビエトは秘密裏に不可侵条約を結ぶ。ソビエト軍に捉えられたポーランド将校の数は18万人である。ドイツ軍はカチンの森で数千にのぼるポーランド士官の遺体を発見した。9ミリ口径のピストルが射ち込まれている。誰しも慄然とせざるを得ない地獄絵図である。ソ連側検事は、ナチスドイツの犯罪として、カチンの森事件を取り上げるように動いた。しかし、立証は困難という反対で起訴は成立しなかった。
 ソ連の容疑が濃厚だったから、戦後30年を経ても、この犯人探しには結論が出ていない。アメリカ特別委員会は、ソ連の犯行とした。予備将校、医師、弁護士、教師などの知識人が多かった。根絶やしにしようという狙いがあったのではと推測している。この事件は、後々まで断絶をもたらし、尾を引いてゆくのである。行く不明になった士官は8,000余人で、カチンの森で発見された死体は4,000余体である。まだ発見されずに有るかもしれない。
   緒戦にポーランドに快進撃したドイツ軍は、開戦初年度の1941年の冬早くもモスクワ全面でつまづいた。赤軍の頑強な抵抗の内、冬を迎えた。雪と厳寒を利用した反撃に会い、後退を迫られた。スターリングラードで、ソビエト軍に包囲され、降伏した。1941年6月ノルマンディ上陸による反抗では、銃後では若者の姿を見ないと言われる壮絶な2正面の戦いになった。
 過去の歴史は、西からの侵入者であるナポレオンも、ヒトラーも、必ずポーランドを通って入って来た事を教えている。ワルシャワ蝶起で使用された近代火器は、手製の銃投擲弓器であり、まさに絶望的な戦いである。ヒトラーは「必要あればワルシャワの全ての住民を射殺すべきである。街を焦土とせよ。」と命じた。ドイツ軍は、ナパーム、ロケット弾、100トンのカール臼砲を使用した。破壊力はすさまじい。ワルシャワ市に雨あられと撃ち込んだ。ワルシャワ市民は、弓で火炎ビンを飛ばして立ち向かった。ドイツ軍が、兵を進めたあとは廃墟となり、人影は消え失せた。暴行と略奪をした。あまりの非道さに、総統本部はカミンスキ大佐を処刑した。市民の死者は、30万人にのぼった。市民は街から追い立てられた。ドイツ軍の破壊するシーンは活字では伝えられず。火炎放射器で、内部を焼かれて、ダイナマイトで粉砕されて、一瞬にして瓦礫の山に変貌してしまう.。
   スターリンはポーランドの亡命政権は早晩消滅し、ポーランドのソビエト化は容易に進むと違いないと衛星国化する強い覚悟でいた。

   あのとき世界は

2016年6月6日月曜日

ヒロシマ・ノート

   顔に醜いケロイドのある数多くの娘たちが、自分を恥じてひきこもって暮らしているのがヒロシマだ。この原爆体験の被害者たちが、みずから感じている恥ずかしさというものを、それこそみずから恥じることなしに、どう受けとめることができるだろう? それはまったくなんという恐ろしい感覚の転倒だろうか。 
 娘が原子爆弾によるケロイドのある顔を恥じている。彼女の心のなかではこの恥を別れ道として、地球上のすべての人間をふたつのグルーブに分けることができるわけだ。すなわち、ケロイドのある娘たちと、そうでない他のすべての人間たち。ケロイドのある娘たちは、自分のケロイドを、それをもたないすべての他の人間に対して、恥ずかしく感じる。ケロイドのある娘たちは、それをもたないすべての他の人間たちの視線に、屈辱を感じる。
 ケロイドのある娘たちはみずからの恥、屈辱の重みをになってどのように生きることを選んだのか? そのひとつ生き方は、暗い家の奥に閉じこもって他の人の眼から逃げることである。この逃亡型の娘たちが、おそらくはもっと多いにに違いない。彼女たちは広島の家々の奥にじっとひそんでいる。そしてすでに若くはなくなりつつある。
 もう片方の、逃亡しないタイプもまた、おのずから、ふたつにわかれるだろう。その ひとつは、この世界に再び原水爆が落下し、地上すべての人間が彼女とおなじくケロイドにおかされるのを希望することで、自分の恥ずかしさ、屈辱感に対抗する心理的支えをえる人たちであろう。そのとき、彼女のケロイドを見つめる他人の眼はすべてうしなわれ、他者は存在しなくなって、この地上のもっとも恐ろしい分裂は失われる。もちろんその呪いは心理的支えの域を出ない。このような娘たちは、やがて沈黙しむなしく逃亡型のうちにはいるほかなかっただろう。
 そして、もう一つのタイプ。それは核兵器の廃止を求める活動に加わることで、人類すべてのかわりに自分たちが体験した、原爆の悲惨を逆手にとり、自分の感じている恥あるいは屈辱に、そのままみずからの武器として価値をあたえようとする人びとである。
 こうした迂遠な文るは、本当は必要ではない。ヒロシマで人びとが体験し、いまもそれを体験しつつある、人間の悲惨さ、恥または屈辱、あさましま、それらすべてを、直ちに逆転して、価値あらしめるためには、そしてそれらの被爆者たちの人間的名誉を、真に回復するためには、ヒロシマが、核兵器全廃の活動のための、もっとも本質的な思想的根幹として威力を発しなければならない。その威力を、ケロイドのある人間たちと、それをもたないすべのの他の人間たちが、こぞって確認しなければならない。その他に広島の被爆者たちをそのもっとも悲惨な死の恐怖から救う、いかなる人間の手段があろう?
 ヒロシマの人間の悲惨が人間全体の回復という公理を成立させる方向にこそ、すべての核兵器への対策を秩序だてるべきではないか。この地球上の人類のみな誰もが、ヒロシマと、そこでおこなわれた人間の最悪の悲惨さを、すっかり忘れようとしているのだ。核兵器保有国のすべての指導者と国民のすべては、かれらの記憶からヒロシマを抹殺したがっているはずでないか。平和をまもるための威力としての核兵器保持である。しかし、現存する核兵器を、威力とみなすことから出発しているのはあきらかだ。
大江 健三郎

2016年6月4日土曜日

広島原子爆弾の苦しみの中で

   広島市の都心に向かう途中で「ピカッ」「ドーン」に会う。たつまきのような強風で吹き飛ばされそうだあった。何分か後に空を見上げたら原子爆弾による原子雲が吹き上がっていた。爆心地では、真っ黒に焼かれ、肌がぼろぼろに破れ、頭や胸から血を流しよろよろと歩く大集団に出会う。だれも声を出さないで、うつむいて歩き倒れてしまう。倒れた人につまずき、あとからも倒れて死体が重なる。死体を踏み越えたり、しゃがむ人もいる。死んだ赤ちゃんを背負って女性がばたんと倒れる。路面は血だらけになる。
 一瞬にして地獄に引きづられて化物に遭遇したと思う。行けば行くほど凄惨である。倒れた人には内蔵がはみ出し頭骨が圧壊されている。市電の中には死体がびっしりで生きている人はいない。死体で敷きつけられ、重なり、倒れうずくまり「暑いよ。痛いよ。」と声低く訴える。
 道の両側は火柱が高く盛りに燃え上がる。家の下敷きの人たつが「お父ちゃん助けて! 熱いよ。」と叫び、「わーわー死ぬる。焼ける。誰か・・・」と泣きわめく声。下敷きから飛び出た人は火だるまである。助けを求める人は何千人以上で、助けに応じれる人はいない。その甲高い声は断末魔のもがき叫ぶ。火柱を上げて焼ける家の下から「ドカン、ドカン。」と弾ける音、火の粉が舞う。
 歩ける人は暑く足早に去るしかない。その修羅場を前にして、頭が強烈に打倒され、涙が両目からあふれた。両手で拭いて顔がぐちゃぐちゃになる。泣けて泣けて涙が止まらない。おり重なっているたくさんの死体、うごめいて傷だらけの人。それは誰がしたのか。
 毎日毎日、広島中に肉親を探し回った。黒い雨をもろに浴び、放射能を吸いぱなし、死体を踏み、死体を焼く現場まで、へとへとになるまで探しまわったが、肉親はいない。どこで命つきたのか骨も拾われずである。
 私の戦後は一生終わらない。胸がしめつけられる毎日である。肉親を殺した呵責が今日までつきまとい、夢にもたびたび現れる。神様、私に奇跡を一度だけ与えてください。肉親が生きて帰ってくる奇跡を。私の戦前から戦中を廃業しましたから。

生きる 被爆者の自分史
被爆者の自分史編集委員会



2016年6月2日木曜日

平和連盟

国際法は自由な諸国家の平和連盟

 諸国家が権利を要求するための方法は、言わば国際的な法廷に訴訟することではない。単に戦争によるほかなく、しかも戦争及びその幸運の結果たる戦勝によっては、その権利は決定されるものではないのである。
 また平和条約によって一応その時々の戦争は終結されるであろう。しかし、戦争状態が終結されるのではないのである。しかも、それに関わらず国家に対しては、無法的状態にある人間に対しては、自然法によって妥当する命令、すなわち「かかる状態から脱却すべきである。」との命令が国際法によって妥当するとも言えないのである。  
 しかし、それにも関わらずなお理性は依然として最高の道徳的立法権の王座から訴訟手続きとしての戦争を絶対に禁止する。これに反し平和状態を直接の義務なりとなす、しかもかかる平和状態は諸民族相互の間の契約なくしては樹立されず、また保証もされないのである。
 かくして以上に述べてきた理由よって、平和連盟(Foedus Pacificum : League of Peace)と呼ばれ得る特殊な種類の連盟が存在しなければならないことになる。この平和連盟なるものは平和条約(Pactum Pacis : Peace Treaty)とは区別されるであろう。その理由は、後者は単に一つの戦争を終結させんとするのに対し、前者はすべての戦争を永遠に終結させんと試みる点にあるのである。
 この平和連盟は、国家の何らかの権力の獲得を目的とするものではなく、単にある国家自体及びそれと同時に、それと平和連盟する他の諸国家の自由の維持の維持と保証とを目指すものなのである。しかも、これらの諸国家はその故をもって、公法及びその強制の下の下に立つを要しないのである。
 この平和連盟の理念は、徐々にすべての国家の上に繋がるべきであり、かくして永遠平和にまで導いていくのであるが、その実現性は誇示されえる得るのである。なぜかと言えば、もし幸運にも、ある権力に対して、かつ啓蒙された一民族が共和国を形成し得たとするならば、この共和国は他の国家に対して連盟的統一の中心点となり、かくして、これらの国家と結合し、国際方の理念にしたがって諸国家の自由状態を保証し、このような種類の結合をの多くを通じて徐々にますます遠くまで広がっていくからである。
 もともと、戦争への権利としての国際法なる概念の中には、何らの意味も認められない。だから、もしその概念に意味があるなら、たとえ次のようにのみ理解されるべきであろう。すなわち、かかる見解を有する人々は、やがて互いに殺戮を行うに至り、かくして永遠平和をば暴力行為のあらゆる残虐とその行為者とを一括として、それを覆うところの広き墳墓の中に見出すことになるであろう。それは正常なことが起こったにすぎないのである。
 相互関係にある諸国家にとって単に戦争しか含まないような、その無法則的状態から脱するためには、理性によれば、ただ次の仕方しかないあり得ない、すなわち、国家もまさに人間と動揺に、その未開な自由を放棄して公的なる強制法に服し、かくして一つの、そしてついには地上のあらゆる民族を包含するに至るであろうところの国際国家(Civlitas Gentium : State of Nation)を構成するより他には道はない。 
永久平和のために
イマヌエル・カント

2016年6月1日水曜日

人間と悪

悪の意識と良心

 客観的にはある意思、または、ある行為が悪であることが明らかであると思われている場合でも、それを指して「それは悪である。」と言うことは難しい。それができるには、厳密には、それを意思した本人自身またはその行為者自身が、心の中で何らかの「やましさ」「はずかしさ」等を感じているのではなければならない。
 言い換えれば、自身によって「それは悪である」ことが明白に恥等として意識されているのではなければならない。そうなれば根本の問題は不問にされ。慚愧と自責の念だけが残される。しかし、その意識が本人自身に欠けているなら、困ったことが「それは悪である。」という言葉は永遠に一方的な非難語に終わるであろう。
 もちろん。この意識がなくても法的制裁は可能であって、実際に処罰は行われているし、違法までには至らない場合には、社会がそれに対して慣習道徳を規範とした社会的制裁を加えるであろう。しかし、いずれの場合でも、この意識の存在が前提にされていなければ、どんな制裁も集団の他のの成員に対する見せしめであるにすぎず、その行為者に対してその真の意味をもつこはないであろう。
 それは良心による裁く倫理的な形式にそれを求めるよりほかはないであろう。それは良心による裁き、いわゆる良心の呵責をまつ事である。道徳的評価は本来他者に向かって行われるものではなく、自己に向けられるものであると言われるのは、この理由からである。
 最もわたし自身に呼ばれるにふさわしい、内奥にある道徳感情である。これが動かされるのは、悪自身ではなく、「それは悪である。」という意識によってである。だから、それは多様な悪事自体の中から道徳的に「それは悪である。」いう特殊な意識と同行していると考えられる。
 この意識は、悪を恥辱または罪過として知覚する道徳感情である。恥等の意識は主に、人間本性に根ざし、それが原因で人間は過ちを犯す欠陥性または不完全性から、罪の意識は主に、人間本性の一般的傾向であり、それが原因で思い上がった気後れしたりする逸脱性から、それぞれ恥等と罪と呼ばれるものを選り分け、それらを道徳的悪とする。良心はこの同行する悪の意識に対して拒否権をもつだけである。

 人間と悪



河野 真 編